DIRECTOR’S JOURNAL

Entries by Naoki Ei, the Director/Designer of CITERA®

COLUMN

2021.08.16

中学生時代、日々の遊びとして始めたスケートボード。それがまさか数十年後にオリンピック競技になるなんてね。とても不思議。スケートボードに人生を救われた一人として、今回のオリンピックは特別だ。もちろんそんなこととは関係なく色んな意味で特別なオリンピックだ。

無事なのか無事じゃないのかわからないけど、開催されて日本の選手もメダルを沢山とって、とても盛り上がった様に思います。もちろんそう思っていない人もいるでしょうけど。とにかく、ここまで現代の膿みたいなものが出た(見えた?)オリンピックもなかったわけで、夢がある反面、世界的なイベントってどうなんだろう?と考えさせられるものでもあった様に僕には見えた。見えたというか、そういうところばかりを意地悪く見ていただけですけど……。

そんな風に見ながらも、やっていれば観てしまうのがオリンピックですし、今大会からはスケートボード、サーフィン、ストリートバスケ、スポーツクライミング、BMXなどが種目に加わったわけですから、そりゃ観ちゃいますよね。で、どうだったか。特にスケートボード。やったことない人が観てても楽しいのだろうか?と疑問に思う。とても細かくて分かりづらいじゃないですか。技の名前もよくわからないだろうし。「ショーンペンですね」「マドンナですね」とか言われても???だろう。その技の名前にも由来はあるところが面白い。ここでは特に説明しませんが。






今も激しくやっているわけでもない人間が苦言を言う資格はないし、言うつもりも無い。そしてオリンピック競技になったことは「当然アリ」なわけです。ただ、スケートボードをスポーツと捉えるかは別として、面白い遊びであることは間違いなくて、だから大きな市場になってオリンピックにも加われたわけです。それってとても面白いことだと思う。嫌われてた道端の邪魔で危なっかしい遊びが、世界的なスポーツの祭典に仲間入りするんですから。

やりたくなった人も多くいるでしょう。でも対コンクリートなので絶対怪我をするから気をつけてくださいね。僕はもう怪我をしたくないので自転車がわりに乗る程度です。それでも危ないなと思いながら乗っているので。でも街を流しているだけで気持ちいい。歩くより断然早いし、自転車と違って持ち歩けるし。

さて、出場していた選手たちですが、彼ら彼女らはスーパーマンレベル。血の滲むどころか、血を流し、骨を折ってという日常を乗り越えてスーパーマンになった人たち。そもそも感覚が違う。恐怖心がないわけではないと思うが、あまり恐怖と感じていないのか、失敗した時のことを想像しないのか、とにかく危険なトリックに立ち向かえ、且つ結果を作れる(メイクできる)特別な人たち。





僕は失敗した時を考えてしまったために、危険そうなことにはできるだけ足を出さず、細かいことで点を稼いだタイプ。そこで限界を感じてドロップアウトし、温めにだらだら続けて今では街を流すだけ。

とてもアメリカ的な自由な遊び。バンド始めるみたいな感覚かもしれない。一つの自己表現で、誰からも強制されず自分の意思で興味と道具さえあればできる遊び。そう「遊び」であってスポーツではない。でもスポンサーがつくものになった時点でそれはもう遊びじゃない。だけどスポーツでもない特殊なもの。だから負けた人も勝った人も同じで、誰かが凄いトリックを決めれば純粋に嬉しくて喜べるし、言葉が通じなくてもお互いスケートボーダーというだけで打ち解けられる。実際イギリスに行って現地の友達を作れたのもスケートボードを通してだったし。



あれ?でもそれってスポーツ全般そうじゃない?もちろん勝ち負けで悔しいこともあるだろうが、スポーツマンシップというものは、相手を讃えあえる精神ということでもあるよね。そうなると、スケートボードもスポーツと言ってしまってもいいわけだ。どこか素直にスポーツと言いたくなかったのは、僕自身がスケートボードという遊びに対してメジャーになることを受け入れられないだけだったのかもしれない。今これを書いてきてそこに気がつけた様に思う。誰がどんな風にやってもいいし、いつやめてもいい自由なものこそスケートボードのいいところであり、そんな特別な存在に救われた10代の少年が時を経て今こうしてこんなコラムを書けているわけです。

ということで、スケートボードはとてもいいスポーツなのです。また少し大人になれた様な気がします。