DIRECTOR’S JOURNAL

Entries by Naoki Ei, the Director/Designer of CITERA®

COLUMN

2021.07.12

apartamento magazineという外国の雑誌がある。ドイツと思っていたのだがスペインのものみたい。興味がない人にとっては、ただのインテリア雑誌と思える。しかしその中身は、精神的に成熟した人間性をその人の”暮らしぶり”と、写真家の感情的ではないその場に溶け込んだ”素の切取り”を通して見せることに今最も長けている原始的で先進的な雑誌、と言うのが良いのかもしれない。

なんて面倒くさい感じで書き出してしまったことを少々後悔しながらも、「的確に表現できたぞ」と悦に入りながらタイプを進めてみよう。あ、ここから先も面倒くさいですから、「面倒なのイヤ」と思う方は自分の時間を大切にしてくださいね。

さて、そのapartamento。都市で暮らす様子を切り取った写真集を出していて、これまでNEW YORK、PARIS、BERLINと3冊出版している。2017年にBERLINが発売された際にその存在を知り、それ以来ずっと欲しかった。その時現地のサイトから直接買えばよかったのだが、まあ日本にも入ってくるだろうなんて思っていたら、入る間もなく絶版してしまった。中身同様に装丁もよく、その本の存在自体が魅力的なオーラを放っている。先日通りかかった代官山蔦屋書店に吸い込まれる様に入ってみると、それが売られていた。聞けば、2019年の第2版の残りが少量入荷し最後の1冊とのこと。神様、いや仏教国なのだから「仏様ありがとう」である。寺も神社も多い国だからどっちでもいいのか……。

ちなみにNEW YORK編は1998年に出版されており、それも今再販され在庫があるうちに急いでオーダーしなければ、である。





デザインの話はどうした?と思われている頃だと思うので、話をそちらに移していこう。デザインソースはどこにある?と聞かれれば、「車、本、街」である。

車は基本的に空力学的な観点からラインが描かれていることで、全ての要素が繋がっている様に思え、そこに強く惹かれる。もちろんそうではないものも沢山あり、その観点が破綻しているものには興味はない。デザイン自体に辻褄が合っていることが自分にとっては魅力的な条件なのだ。スポーツカーが分かりやすい例である。そのスポーツカーのマッチョ感を感じさせず、うまく民生車に取り入れている車が好き。

本は先にも書いたように、装丁やそこに写る風景や物体のレイアウトが生み出す「美」があるものに心奪われる。デザインに対してラインとか形といった直接的な影響はないのだが、それを見ているとなぜか頭に形が浮かんでくる。それをウェアやバッグと合わせていきデザインとして仕上げることが多い。

では街はどうだろう。街のどんなところからインスピレーションを受けているのだろうか。公共施設と公共物。役所、駅、高速道路etcである。そして公共物としてのベンチとか植栽、消火栓、マンホール、ガードレールなどなんでもないそこら辺に設置されているもの。あれは面白い。それ自体はなんの変哲も無く、ただ何かが起こるのを待っているだけのものでつまらないが、そこにあることで街を生きているものに見せている。そこに刻まれた傷とか落書きとかがあるとより面白い。その向こうに人の存在が見えてくるから面白いのである。









結局のところ、デザインを通していかに人の存在を感じられるか、これが自分にとっては大切なのだとわかる。車のデザインは、人が移動すること、スピードを競う、技術開発など、どれも人の生活(経済活動的な面も含めて)のためである。そして本は人の営みや創造性を視覚的に具体化したものだ。ただデザインを感じたいのではなく、人を感じていたい。それをデザインという形に変えて表現されているものこそが魅力的で廃れないデザインである。

デザインのためのデザインは必ず朽ちるものであり、流行りに左右され本質的なものを持っていない。それはとても今の時代的すぎる。表層の世界はそれに翻弄されすぎている。もっと本質を見極めるべきだ。目先のものに惑わされすぎちゃいないかい? 人は自分を幸せにするために生きているのであって、目先の利益のために生きているのではない。目先の利益を求めてばかりでは最終的に何も残らない。それはデザインすることも一緒で、デザインする側が何を考え何を思っているか、どうしたいかで、デザインが生きるか死ぬか決まるのだ。利己的なデザインでは人は幸せになれない。











物とは人を幸せにするもので無くてはならない。どんな些細なことでもよくて、どんな幸せをもたらすことができるか、これを想像してデザインするべきである。