DIRECTOR’S JOURNAL

Entries by Naoki Ei, the Director/Designer of CITERA®

COLUMN

2021.06.24

今年はオリンピックが開催される。と思う(6月24日現在)。ん~、開催されるでしょうね。賛成か反対かどっちかはここでは何も言わないことにしよう、と思ったけど言っておこう。ただ、自分の場合今の世の空気感とは違って、コロナ禍であることは関係なく、そもそも日本で開催されては困るのである。

なぜなら、自分にとってオリンピックというのは「深夜にテレビで観るもの」だからだ。これまでの人生においてオリンピック(夏の)というものは海外で行われている。そのため、時差が生じて観戦するのはもっぱら深夜とか早朝とかだ。深夜族にとっては夜な夜なリビングでゴソゴソと活動していても、家族から煙たい目で見られることはない。「いや~、オリンピック観ちゃうよねぇ」とさえ言っておけばまぁ許される。そんなわけで、日本で開催されてしまうと深夜活動の言い訳ができなくなってしまうのだ。夜に寝ないことはとてもワクワクするのだが、この歳になってもどこか後ろめたい。それを正当化してくれるいい機会がなくなってしまうのは、困りものなのだ。





さてさて。
90年代からスニーカーを海外から買付け、財を築いた男がいる。そんな彼から90年代終わりにこんなことを聞いた。「オリンピックイヤーに合わせてスニーカーブームは来るんだよねぇ。だから商売的に僕は絶対大丈夫」と。もちろん彼なりのやり方があったからこそ成功したと思うが、確かにそうだった。それに拍車をかけるがごとく、ここ数年はその法則に当てはめれば毎日がオリンピックになる。そのくらい皆スニーカーに熱をあげている。もちろん自分も若い頃は熱を上げた。しかし今は「人より少しだけ高めの平熱」くらい。

オリンピックイヤーにスニーカーブームが来るというその人の持論の理由はこうだった。

ナイキはオリンピックに合わせ、オリンピックモデルや新しい技術を使ったモデルを必ずリリースする。それを後押しするためにオリンピックを使って1年かけて強力なプロモーションができる。

なるほどだけどそりゃそうだ。ごくごくあたり前のことだが、テレビや雑誌でスニーカーをみているだけではそこは見えてこなかった。世界的一大イベントとメディアによってスニーカー市場は動かされるんだな、と。彼は一銭も使わず、巨大な広告費に便乗し仕入れたものを売り続けたわけだ。大した分析資料がなくても、スニーカー情報を何となく追ってる者としては妙に納得してしまう。









日本にとってナイキの存在は大きい。もっと大きくいえばアメリカだ。戦後アメリカ文化が土石流のごとく押し寄せ、若者はアメリカ文化に憧れる。「アメリカは強くかっこいい」。戦後時間が経ったとはいえ、1974年生まれにとってもそれは変わらずだ。

アメリカンロック、アメリカンニューシネマ、アメリカ文学、ヒッピー、スケートボード、BMX、バスケットボールなどの若者文化やスポーツ。とにかくアメリカすげぇぜ!なのである。そして子供向けの映画の主人公の足元は必ずコンバースやナイキ、そしてリーバイスのデニムだ。

そうやって子供の頃から脳みそはピクルスの様に、アメリカ汁にじゃぶじゃぶと漬けられ、ハンバーガーの間に挟まれアメリカを肥してきた。それはそれで幸せだった。そう思えるのだからそれでいい。まさに頭から足先までずぶずぶに。そう考えるとベトナムってすごいよねw RESPECT!!











いけないいけない、スニーカーの話に戻そう。もちろんナイキやコンバースだけが好きなわけではない。アディダス、プーマといったヨーロッパ勢にも心を奪われた。いや、プーマも何足も履いたけどそれほどでもないか……。そして、初めてイギリスに行き、ナイキを履く人があまりにも少なかったことに衝撃を受けた。あ、世界は「アメリカ万歳」ではないのね、と。









「昔はよかった」なんてノスタルジックな年寄りじゃないけれど、ギリギリ90年代まではどこのブランドも個性があって面白かった。もちろん今のスニーカーにだって面白いものはある、だろう。ただ自分はもうその渦中に居ないので情報も違いも敏感に感じ取れないでいる。それでもいいな、と思うものはある、これとか↓。でもアディダスって言われないとわからないデザイン。好きな人ならわかるか。







インターネットの普及と共に世の中が変わり、世界がどんどん均一化していく中で、デザイナーは数年おきにデザインと共にブランドを渡り歩きスニーカーは均一化していく。まあ、ボーダーレス、フラットな世の中といえば聞こえはいいかな。都市の様子が似てくる様にスニーカーのデザインもそうなっている。だからこそ、昔からあるモデルやそれをアレンジしたものに人気が集まるのだろう。それが少しだけ寂しくもある。↓これなんてなかなか幾何学的なラインで構成されている。しかもジョーダンだし。







こうやって全く新しいモデルでも人気を得るものもしっかりと存在する。古いものだけではそのマーケットは必ず衰退する。新しい技術が惜しげもなく投入され、過去にない全く新しい面白いものが生まれる。スニーカーはそうやって進化してきた。CITERA®にはオリジナルなデザインも新しいデザインもどっちも合う。そのスニーカーの進化にもニュートラルに寄り添えることが理想。だけど、それって結局使う人の気持ちなのではないか。気持ちがニュートラルであれば、それが新しかろうが古かろうが使う者に自然と馴染んでいく。

しかし、しかしだ、忘れてはいけないことが一つある。それはスニーカーの本質だ。スポーツ選手のパフォーマンス向上に貢献するために進化する。そう思うとスニーカーにとってはオリンピックは絶対的に必要である。そして、夜な夜なひっそりと一人テレビでライブ観戦させてくれはしないだろうか。