DIRECTOR’S JOURNAL

Entries by Naoki Ei, the Director/Designer of CITERA®

COLUMN

2021.05.10

風かおる5月。若葉の芽吹きも一段落し、濃い緑一歩手前の強い若草色の葉が、透明度の高い乾いた空気の中で光をはねつけ美しく輝き揺れる様を見ているのは何にも代え難く、この時期にのみ訪れる僅かな日常の一片がある、そんな5月。自分が産まれた月ではなかったとしても大好きな月だっただろう。

そんな素晴らしい季節はどこかに行きたい、そう思うのは自然なこと。去年はもうどこかに行ける様な状態ではなく、近所をぶらつき気を紛らわせた。引き続き今年もそんな状態。では、その前の年はというと、京都、奈良、ベルギー、パリなどに行っていた。京都では東寺の立体曼陀羅、奈良では大好きな當麻寺で二十五菩薩来迎像を観て、その近くの餅屋でよもぎ餅を食べる、という至福のお決まりコース。

二十五菩薩来迎像ですが、仏像ではなく、「フィギュア的視点」で観るととてもかわいいので、是非画像検索してみてください。

欲を言えば新薬師寺で十二神将も観たいところだが、時間の都合で断念。ちなみに仏像の写真は撮影禁止の為持ってない。こっそり撮ってるのでは?と思われそうだが、流石に仏様の前では禁止事項を無視するわけにはいかない。そんなことは当たり前で、誰の前であっても禁止事項を破ってはいけないのである。と一応付け足しておこう。



「親愛なる旅行者へ、ようこそこの旅路へ~」的なことが書いてある

今回のコラムの主旨は旅だ。しばらく海外なんて行けてないし、近いうちに行けそうな雰囲気さえない有様のニッポン。こればっかりは国の主導者の方々に頑張っていただく他ない……。なので今はマスク越しに、5月の薫る風をこれでもかと吸い込み、近所かこれまで行った国に想いを馳せて過ごすしかない。









自分にとって旅の楽しみは、訪れた先で見るディテール。旅でのディテールって何だ?それは行く先々で生活者と街が作る日常的で「クスッ」と笑みがこぼれるどこか可笑しなシーンや、ふと目が留まるもの。それらがいくつも積み重なって文化を作る。それはその土地に流れる血液みたいなもので、無くてはならないもの。全ては生活に必要な意味を持ち、通りすがりの者であっても、そこに触れれば旅がより面白くなる。観光名所よりも、そのディテールを観たいと思っている。









人々の笑顔だったり、ごちゃごちゃした道路、適当な駐車、汚い通りに高級車、落書き、ゴミ、おんぼろ建物、サインetc。ディテールはそんなもの。

そんなディテールが好きな人間が作るCITERA®にもディテールは欠かせない。ディテールのない服は「クリープのないコーヒーの様なもの」。いや、それは間違った例えだ。コーヒーにクリープなんてものは入れない。コーヒーはブラック派である。そんなしょうもない古いCMのコピーを引っ張り出しても話が進まないので、もっとましな例えにしよう。ディテールのない服は「志村のいないドリフの様なもの」。







細かな話だが、最近リリースしたLUFTは全体につるんとしたミニマルな故に、シンプル過ぎて物足りないと感じそうだ。なので、袖と裾の中にもディテールを持たせた。熱圧着でかすかに出るアタリというかレリーフとでも言おうか、それである。ピシッと輪郭を浮かび上がらせ、この一見あるのか無いか分からない程度のものが全体を変える。

削ぎ落とされたミニマルなデザインでも、ディテールによって深みや雰囲気を持たせれば他とは違う味のある服になる。「どこにどんなことをすればその服が面白くなるのか?味が出るか?雰囲気が出るのか?」と、そんな風に考ることが、服作りの楽しいところである。







旅のディテールをもう一枚。べルギーで見た量り売りのオイル缶のペイント具合。多分オイルの種類を色で表してると思うのだが、この様にべったりとわかりやすく全体を塗らず、斜めに入れるあたり芸が細かく美意識の高さが見て取れる。

こういうところに目を奪われてしまうのは、細かい性格だからだろうか?それとも、そういう細かいディテールが好きだからこそ性格も細かくなっていったのだろうか?「鶏が先か?卵が先か?」の様なものだ。そんなことはどうでもいい。大切なのは、そこにディテールがあるかどうかである。

最近毎日の様にLUFTを着てるのだが、ふと目に入った袖先や裾のアタリがこれまで見てきた街に溢れるディテールを思い起こさせる。もっといろんな街のディテールを見せて欲しい。

近くてもいい、梅雨が来る前に行ったことのない場所に行こうと思う。