アラスカという響きは非常に遠くの地のように聞こえていた。
氷河や野生動物の宝庫というイメージからか、地の果てのようにさえ思っていた。
トランジットのためにシアトルの空港で数時間過ごし、アンカレッジに着いたのは日本を発って16時間後くらいだった。
直線距離にしたらカリフォルニアよりも近い場所だ。
昔は、ヨーロッパに行くにはアンカレッジを必ず経由したようで、海外出張経験のある年配の方には馴染み深いそうだ。
70歳近い知り合いに「アラスカに行ってきたんですよ。」と言うと、 「アンカレッジ空港のうどん屋にはよくいったもんさ、まだあるのかい?」と返ってきた。
残念ながら、高度成長期を支えた日本人が肩を並べて麺をすする音を立てたうどん屋は、空港にはもう見当たらなかった。
空港は思っていたよりも近代的で綺麗なものであり、思い描いていた「地の果て」にある空港のイメージからは程遠いものだった。
実際に降り立ったアラスカの街並みはその距離感とは逆で、思い描いていたイメージに近いものだった。
通りは人が歩く代わりに冷たい風が音を立てながら駆け抜け、とてもテクノロジー全盛の21世紀とは思えないくすんだ色に見え、取り残された感がどこからともなく溢れていた。
前置きが長くなってしまったが、今回訪れたアンカレッジには氷河や動物といった「大自然」を味わいに来たわけで、都市に求める華やかさや新しいモノを見つけに来たわけではない。
着いた日は豊富にある地ビールで乾杯し、翌日の氷河に向けて早々に床についた。
4人乗りのヘリの具合といえば、軽自動車よりも心細く、なんとも言えぬ不安感。
アゴ髭を蓄えた笑顔がナイスなパイロットが握る操縦桿に全てを預け離陸。
初めてのヘリの感覚に興奮している数分間であっという間に山の上まで達し、パイロットが下を指差し「あそこクマだよ、あっちはムース、それであそこにはヒツジね」という具合に次々と動物たちが現れる。
動物を探しつつ景色も楽しんでいると、目の前には壮大な雪山が出現。
しかしまだ9月である。
「これぞアラスカか」と思わず声が溢れるほどだった。
雪と岩と氷河の渾然一体となったその姿には、ただ目を奪われるだけだ。
乗り込んだ全員が興奮しすぎて黙ってしまったのを不安に思ったのか、パイロットは「楽しんでる? ちょっとアクロバットな操縦しようか?」とヘリを急旋回させ、絶叫の渦へと機内を落とし入れる。
こちらの焦りを悟ったようでニヤつきながら平常運転に戻すパイロットに殺意さえ浮かんだ。
氷河に着陸し、暫し散策。
溶け出す氷河の小さな滝、氷河が削った山肌が氷の上で水と混ざり合ってできたアブストラクトな水たまりなどを見ながら氷河の丘を登る。
ありきたりだが、何万年も前の空気を閉じ込めてそこに鎮座する氷。
薄青色の光を放ちどこか宇宙のような雰囲気も持ち合わせ、見る者を魅了する。
自然の造形物から放たれる力ほど、人間を突き動かすものはないのではないか? それは生き物の原点だからかもしれない。
などと終わりのない自問自答を繰り返す。
美しさなどどうでもよく、ただそれだけである。
BACK TO INDEX