TRIP REPORT

Entries by Naoki Ei, the Director/Designer of CITERA

人は何をするにも移動が伴う。
どこかに旅行するにも、朝起きてトイレに行くにも。
人生80年として、人はどれだけの距離を移動するのか。
先日、自宅から駅まで行き、そこでICカード乗車券を忘れたことに気づく。
当然自宅に取りに戻ったわけだが、その時の移動距離は「自分の人生にとって何をもたらしてくれるのだろうか?」と思ってしまった。
もちろん運動という「健康的プラス要素」と考えれば気分もよいのだが、たかだか10分程度のウォーキングではカロリー消費もすずめの涙程度だろう。
大して人間もできていないので「時間のロス」「無駄足」などと考えてしまう。
これまでの人生において、この様に「無駄」と思える移動がどれだけあっただろう。
いまさらその移動距離なんて計りようもないのだが、「地球を一周しただろうか?」「月まで歩いていける距離かも?」と考えてみるとなかなか楽しくなってくる。

しかしこれが、「サハラ砂漠を数日彷徨った距離」や「ロスからサンフランシスコ間の果てしなく続く景色の変わらない一本道」と考えると想像するだけで恐ろしくなってくる。
それが実際に通ったこともない場所であってもだ。

日々の移動中、よくそんなことを考えながら一喜一憂している。
実際に移動しなくても頭の中だけで移動し、その状況次第では喜びや不安も感じて心まで動かされている。
頭の中ではわりと一瞬の出来事なのに、実時間で体験した様な気がしてくる。
当然、体験したわけではないので経験にはならないのだが、脳で感じた「不安」や「喜び」が心まで動かしているのは事実であり、少なからず何かしらの影響を与え、人生を豊かにしている様に思える。
そう思うと、「忘れ物を取りに帰って稼いだ距離」というのはまんざら無駄でもなさそうだ。
とはいえ、進んで「忘れ物をしよう!」とは思わないが、敢えて無駄足を踏むことも悪くない気がしてくる。
実際に、知らない町を歩いている時は道をよく間違えることがある。
そんな時、予定通りでは行き着くことのできなかった場所や店などが現れ、その偶然と自分の阿呆さに感謝することが大いにある。

実例をあげよう。
アメリカのある街で宿へ帰るために歩いていた。
どうやら道を間違えてしまい、全く見当もつかない場所に出てしまった。
夕刻を過ぎ、辺りは暗く緊張感が高まりつつある雰囲気が通りを急ぐ人達の顔から伺える。
焦りながら次の通りを目指し足早に歩いていると、古道具屋と思わしき店先に、レコードの入ったダンボールが見えた。
レコードも気になったが道を聞くために店内へ入ると、 うなぎの寝床の様なガラクタが積まれた細長い通路を抜けたその奥には、壁一面レコードが積まれていた。
早く宿へ帰りたいが、優に5,000枚はあるだろうこのレコードの山を無視することはできない。
時間に余裕は無かったが、諦めきれない気持ちを抑えるため、運に任せて手を突っ込み1枚のレコードを取出した。
それは、当時欲しいと思っていたが日本では高額のために買えなかったレコードであった。
店主に宿のある場所までの行き方とそのレコードの値段を尋ね、宿までの身の安全と、その1/5,000のレコードをわずか$3で手に入れることができたのだ。
まさに偶然と自分の阿呆さに感謝である。

よく「人生に無駄などない」と、偉人や人生経験豊富で偉そうな人が言っているが、「無駄はない」のではなく「無駄が作り出す幸せや豊かさはある」ということだと思う。
求めてはいないのに、結果として無駄になることは人間である以上避けられない。
そしてその無駄に伴って生み出される「移動」も人間である以上避けられない。
忘れ物をしないなんてことは絶対にないのだから。
そんな、ついうっかりしてしまう人間が作っているCITERA(R)こそ無駄な存在かもしれないけれど、ある人にとっては幸せや豊かさを提供していける存在でありたい。



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