STORY第19回はT-Shirtsについて。
暦的には夏はとっくに終わったけれども、10月後半まではまだまだT-Shirtsで過ごす日々が続きそう。
といっても、T-Shirtsなんて1年中着ているわけだから、そんなことを敢えて言う必要もないのだけれど…
基本的に薄着でいることが身体的にストレスが少ないと思っているので、真冬でもT-Shirtsにシャツ、スエット、ニットなどを着てマフラーを巻き、外ではそれに厚手のアウターというのがほとんど。
なのでT-Shirtsは年中欠かせない重要な存在なのだけれど、また違う意味でも重要なものに思える。
それは、T-Shirtsというのは最も簡単な自己表現の手段ではないか?ということ。
T-Shirtsの絵柄を見ればその人が何を好きなのか、また何をしている人なのかが一発でわかることがある。
音楽、スポーツ、芸術、政治、哲学、学生など。
もちろんわからないことも多々あるのだけれど…
では良い実例を。
先日、アメリカ滞在中に美術館へ行った際、チケット窓口で$15の一般チケットを購入しようと財布からお札を出そうとした。
するとチケット係から「学生証は?」という意表を突かれた質問が飛んできた。
戸惑いながらもなんとか出た言葉が「持っていないです」だった。
それに対して係員は「オーケー、信じるよ!」と着ていたT-Shirtsを指差し笑顔で$8を求めてきた。
その時着ていたT-Shirtsは、半年ほど前にニューヨーク大学購買部で買った芸術専攻科のものだった。
彼は着ていたT-Shirtsから、僕がニューヨーク大学の学生だと思ったのだ。
このことから分かるように、T-Shirtsってやつはその人を表現するツールとして成立していて、それを着ている本人が意識的かそうでないかは関係なく、見た相手にとってはその人を判断する材料の一つになる。
もちろん全てに意味とか、表現手段として成り立たせることが必要なわけではないけれど、時と場合によっては有効なわけで、仲間を作ったり知らない相手と哲学などを分かち合うには手っ取り早いということ。
さてさて、ここで17-18FWのT-Shirtsの話を。
今期のプリントの内容は、美観を損ねずに人の注意を惹けるよう、計算の上にデザインされた公共の建物の壁やエントランスの扉に書いてあったもの。
また偶発的にできた塗装屋が道路につけた美しくはねたペンキだったりと、その存在が当たり前すぎてだれもが目にはしているのに記憶に残らないものの中から拾い上げたものたち。
なので、それらを着ていても入場料が安くなったり、ライブ会場で同じT-Shirtsで盛り上がりバンド結成とか、哲学一致で意気投合なんてことはないけれど、「その意味は何?」とか「どこか見慣れた感じね」などと声をかけられることがあるかもしれない。
もしそんなことがあったら、そこから天気でも、着ている服でも何についてでもいいので話を広げ、その場でのコミュニケーションを楽しんでみてほしい。
これまで目には見えていたけれど無意識に無視していたものたちが、自分の生活の中で意味のあるものに見えてくるかもしれない。
そういう、ありふれた日常から何かを発見する手伝いをするのも、CITERAにできることなのではないか?と思いながら、この先の様々な企画を考え日々を過ごしています。