インディゴってのは最古の染料と言われているそうで。諸説ある様だけど、アジアで古くから使われてきてインドを通じ世界に広がっていったらしい。どうしてそんなに世界に広がるほどの価値を見出されたのだ?と不思議に思う。どこまでそれが真実なのかは知らないが、これ見よがしに博識のふりをして無責任に聞きかじった話すると、インディゴの原料の藍には虫が嫌がる成分が含まれるらしく、その効果を求め衣服を染めるようになったそうだ。そんなの大体知ってるって、と聞こえてくるのは明白で、全く博識のふりにもならないや……。
まぁ、大昔に科学的知見があったとは思えないので、食べられる草を探している時、そこら辺に生えていた藍だけが虫に食われてないことに気づいた。それは食えはしないけどコスり付ければ虫は寄らないかもと思い、コスり付けたところ、そこに色が移りなんだかそれが綺麗な色だぞ、だったら全体に色をつければ虫除け、見た目の一石二鳥だ!ってのが始まりなのではないか。それが生きる知恵の一つとして自然とそうなっていったのではないか。私の様な浅はかな現代人でもそれは容易に想像はできる。もし自分が原始的な生活をしていたら、そう考えるよな、と。
確かにインディゴってのは独特の匂いがある。決していい匂いではない。幸い人には逃げ出すほどの匂いではないので、それが身を守ってくれるなら、と太古から使ってきたわけである。先日NHKの番組でインディゴについてやっていたのだが、それ以上のことがあると言っていた。研究が進んだことで、藍が持ついくつもの成分の中に除菌の効果をもたらすものがあることを突き止めたそうだ。なぜNHKの番組でインディゴ?と思って観ていたのだが、コロナ禍なので「除菌」に関することは片っぱしから取り上げているのだろう。
だからと言ってインディゴ染めの衣服を着ていれば安全、なんて言う気もないし、それを着ていたってもらってしまう時はもらってしまうだろう。もらわないようにするには、日々の対策と運次第だと感じる。幸い自分とその周りにも、もらって来た人は未だいない。
虫除け、除菌の効能も持ちながら、見た目の美しさや経年変化の楽しさも持っているなんてなんて素晴らしいものだ。それであれば、人間がインディゴの虜になってしまっても納得がいく。しかしだ、それは地球上の生物によくある偶然なのか、それとも藍の知性なのか。美しさと効能を使い、人を利用し世界各地に侵略していったともと考えられる。それは「麦の世界支配説」にも通ずるものがある。インディゴよ、お前もなかなかのキレ者の様だな。というわけで、敬意を込めてインディゴで染めた糸で織られた生地をTシャツに使わせていただいたわけであります。
製品で染めたり、生地で染めたインディゴのベタ感もいいのですが、染めムラのある糸独特のシボ感の雰囲気が今の気分なのです。来年はベタですかね。いずれにしても洗っていっての色落ちも楽しみなわけで、そういう意味で長く着られる、着たくなるTシャツなわけです。藍色というのは奥行きのある色に思えて仕方がない。それは他の色にも言えるのだけど、藍で染めた藍色はことさらそれを強く感じる。人間の中に深い青に対する強い繋がりがあるのだろうか。空や海が青い、いや地球が青いからだろうか?
そんなことを考えたところで、インディゴ染めのものに心惹かれる理由なんてわかるわけもない。もはやそれはどうだっていい。それを見て、綺麗な色だな、と感じて心が潤えばもうそれでいい。そうやって僕らはインディゴから幸せな時をいただいている。その代償としてインディゴの世界征服に加担しているのだ。もっと青を見せてくれ、もっともっと魅せてくれ!いくらでもお前の世界征服に加担するぞ、いや加担させてください!と叫びたくなるのだ。
しかし、しかしだ。現代では大量生産を求めた結果、化学染料が増え天然モノが減少している。インディゴの世界征服危うしである。藍畑の代わりに化学工場が世界征服に手を広げている。どこかの誰かがインディゴの皮を被りベストスマイルでインディゴから覇権を奪い、血と汗の結晶である銭を我々の財布、いやスマホから「チャリ~ん!」と盗もうとしているのだ。負けるな天然!憎き偽物!助けてインディゴマーン!
インディゴ染めのTシャツ、スウェット、デニムその他にも色々ありますけど、それぞれの視点と感覚で自分に合ったそれを選ぶのがいいと思っています。それが本物、偽物であっても、目の前に現れたインディゴに目を奪われたのなら、どっちだっていい。自分を信じそれを手に取るのだ。そして、どっちの世界征服に加担するかは、心の中に湧くマグマの様なインディゴ愛に自然と反応した方に手を染めればいい。そう、インディゴ染め職人の手が真っ青に染まっている様に。
ただし、その選んだ結果があなたの価値を決めるということを覚悟するのだ。心のインディゴ愛が天然を選んでくれるような人に私はなりたい。