

昭和後期の生まれにとって、アジア諸国というのは若い頃に旅をする地域だった様に思う。ギリギリバックパッカー世代ということもあり、比較的旅費のかからないアジア~東南アジア、そしてインドなど。 オープンチケットを買い時間とお金のある限り旅を続け、バスや列車を乗り継ぎ、駅近くの安宿に滑り込む。大学生ともなれば比較的時間があるのでバイトをし、あてもなく旅をする。ビート文学や深夜特急などに触発された者も多かったと思う。そこに伴うある言葉がある。 「自分探しの旅」である。その言葉の通り自分を見つけるために各地を放浪するのだ。自分を見つけて帰ってきた来た人はどれだけいたのだろうか?
正直私はその言葉自体に賛同できなかった。旅をしたところで何か見つかるのだろうか?もちろん、若さゆえに何者でもない自分への劣等感を埋めるために行動する、といったことなのだが、それを「自分探し」という言い方で片付けてしまうことがどうも納得がいかなかった。 こんなことへの不平など口にしたことは一度もないし否定もしない。私には受け入れられなかっただけの話である。 自分を見つけられなかったとしても、旅をし文化の違いに揉まれ、良くも悪くも様々な体験を得て理不尽な社会への免疫みたいなものをつけることができるのだからそれでいいのだ。
そんな能書はよくて。期限が迫るマイルを眺めていたら、ふと台湾に行ってみようと思いついたのだ。

旅の準備はいつもテキトーで、足りないものは現地で調達すればいいし、この時代カードや電子決済でほぼ乗り切れるだろうと思い、数日前に思いつきで予約をしてもどうにでもなるだろう、そんな軽い気持ちで出発。 オードリー・タンによるハイブリッドな政策などを聞き齧っていたこともあり、今時の先進国並み、いやそれ以上だろうと思っていた。 欧米ではATMから現金を下ろせる口座を持っていることに慣れていたためほぼ現金を持たずに出国。 ハロー台湾。 しかし私は台湾を甘く見ていたようだ。弾丸だったので身の回りのものに困ることはなかったが、大きな問題が現れた。それは現金社会だ。「カードが使えない店が多い」とはネットで見ていたものの、先のオードリー・タンの先行イメージでどこへ行っても店なら電子決済可能と思っていたのだ。 それは旅慣れた者の驕りだった。出国前に一応念の為と空港で幾らかの現金を引き出すつもりだったが、羽田の新しくなったインターナショナルエリアにはATMを見つけられず、あれよあれよと樋口一葉だけを引き連れ出国してしまったのである。

電子化されたことやステイタス優先レーンなどで出国手続きもかなり楽になり、並ぶことなくゲートをすり抜け気を良くしたために手持ち現金不足のことなど気にすることなく、いつも確認してしまう機体に表記された「NO STEP」を確認し、3時間半の空の旅を楽しみ台湾松山空港に到着。 ウーバーを手配し空港の外に一歩出ると、呼吸した途端に肺に入り込んだ予想以上の熱を帯びた湿気が、許容を超えた水分量により呼吸器官を膨張させ、むせかえってしまった。 暑い。 日本も暑いが台湾はもっと暑かった。台湾の気候事情を甘く見ていた。温度的には同じくらいではあるが、湿度がより亜熱帯だ。高湿度による焦りを感じながら嗅ぎ慣れない空気が充満する冷房の効いたタクシーに乗り、まずはホテルまで向かったのである。

不慣れな臭いはあるが涼しい車内で自分を取り戻したが、この時点ではこの先樋口一葉に泣きつく自分がいるとは微塵も思っていなかったのである。チェックインまでは時間があったので近所を散歩することに。 容赦無く暑さが襲いかかってくる。 ホテルを出て5分もせずにどこか涼しいところに逃げたくなるほどの暑さ。目の前に三越デパートがあったのでそこに避難。正直デパートは涼しいだけで面白くはなく、覚悟を決めて外に食事でも行くことにしよう。 しかし暑い。 足を前に出すだけでも暑い空気が皮膚を撫でるのがわかる。台湾の暑さ恐るべし。滝のように汗を流しながらシェントウジャンを求めて数ブロック先の目当ての店まで向かう。涙なのか汗なのかわからないくらい辛い状況を修業と言い聞かせながら1~2キロ歩く。

見慣れたコンビニサインの隣にその店はあった。食事時間のピークを過ぎていたために店内は空いている。空腹と暑さを落ち着かせられると思ったのも束の間、現金しか使えないことを知る。絶望的な瞬間。 隣にあるコンビニに駆け込み、下ろせやしないのは分かっているのに無理やりATMに銀行のカードを飲み込ませ使えないことを再確認。暑さで思考能力が働かず、藁をも掴む思いでATMに泣きつくもATMは微笑んではくれない。 チェックインの時間までは2時間はある。仕方なくその場を離れ、クレジットやスマホ決済ができるであろう淡い期待をしながらマンゴーかき氷の有名店に向かってみるも、期待は打ち砕かれて向かいにあるこれまた見慣れたコンビニサインの店に飛び込み、冷えたペットボトルの飲み物を抱え設けられた数席のイートインコーナーに落ち着く。

ガラス越しに見える向かいのマンゴーかき氷を恨めしい眼差しでロックオン。甘いのか甘くないのかも分からないお茶系であろうペットボトルを流し込み喉を潤す。乾いた砂に染み込んでいく水の様に瞬時に身体に沁み入るそのお茶のうまいことうまいこと。 台湾にまで来てコンビニのお茶に感謝できるとは、普段どれだけ感謝を忘れた気持ちでいるのかを再確認し、考えを改める良い機会を得た様に思える。こんなにもすぐに旅に学ばされるとは。

わざわざ数キロも歩きコンビのお茶を飲みにきて、またホテルへ戻るという愚行。この先が思いやられる気持ちでまた天然サウナ街を歩きようやくチェックイン。クーラーが聞いた室内に水流もしっかりとした快適なシャワーにモダンな内装。雑居ビルに入る小さなホテルではあったが今の自分にはオアシスである。
身も心も整えたのでまずは換金所だ。連れてきた樋口一葉1枚では非常に頼りないが、いないよりはいい。幸いにも向かいの三越デパートに換金所で現地通貨を確保。部屋に戻って色々と調べたが個人店の場合ほぼ現金のみということがわかり、絶望的になる。 事前にチェックしていた店のほとんどは個人店であったのだ。高級なエリアの綺麗な洒落たカフェであっても現金のみである。5千円で2日間の食事に土産などどうやりくりしていくか作戦を練るつもりで部屋で涼んでいたらいつの間にか寝てしまい、気づけばもう夜である。

とりあえず外に飛び出し向かう先は台湾といえば夜市である。空腹と暑さで倒れそうな身体を「何かを口にするまでは死なぬ!」と気力で支え、夜市を練り歩くも口にしたいと思えるものがない。というよりも不慣れな匂いと衛生的観念で気が進まない。 弱っているせいか弱気になり、この街の流れにのまれて楽しもうとする気になれないのだ。夜市は諦めどこかお店に入ることにするにも何屋なのかよく分からない。そんなときカードが使える豆花のお店が現れる。 涙がちょちょぎれる思いを抑えながら冷静にそして的確にオーダーを済ませ配膳を待つ。タピオカ、緑豆、そして豆花が冷えたココナッツミルクに沈められたどんぶりが目の前に。冷えた金属スプーンに指先の熱が吸い取られていくのがわかり、焦る気持ちで豆花を口に流し込む。 スイーツ類でこういった表現をするのはどうかと思うが、まさに五臓六腑に染み渡るという表現が正解なほどに気持ちも身体も生き返る気分であった。

元気と気力を取り戻し、夜の街を荒らしたい気持ちではあるが、ここで調子に乗ると痛い目に遭うのが関の山。湧き起こる気持ちを抑え街を見学しながらホテルまで徒歩で帰ることにし、手持ちの資金を無駄に使うことを避け健全な夜の散歩を楽しみ1日目を終えたのであった。
つづく……。
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