日本でCOVID-19が蔓延しだしたのが2020年2月。その頃ヨーロッパ最大級のスポーツ・アウトドアマーケットショーを見に行っていた。同時にリサーチとしてロンドンに寄り帰国したのが、2月の初旬。展示会はドイツ・ミュンヘンで行われており、中国からも来場者並びに出店による参加者が多く訪れていた。会期は1月末であったが、なんとなくウィルス性の疫病が中国で猛威を奮い出したとか出してないとか、そんなあやふやではあるがミュンヘンでもTVニュースから情報が入ってきていた。そして2月に入り帰国すると横浜の豪華客船内で感染が広がり、そのニュースで持ちきりだった。幸いなことに、空港はまだ通常のままであり、足止めを喰らうこともなく家路につけた。ミュンヘンでは中国から相当数の人が来ていたし、それらの人とのやりとりもあったので、少々心配はしていたが、その後体調を崩すこともなく時は過ぎた。
それから2年の時が経ち、今は2022年5月である。なんとなく色々なことを騙しながらそれなりに順応し生活をしている。このゴールデンウィークには国内だけではなく、海外旅行をする人たちも多くいた様だし、調べてみると帰国時対応も国によっては緩和され、隔離処置も自宅のみやその人の状況次第では何にもない場合がある。そうなると俄然海外渡航の意欲が出てくるわけである。当然ながら、この時代2年も経てば様々なことが進化するわけで、パンデミックがあったとなればこれまで以上にその変化も著しいだろう。そろそろ外の状況を見ておかないと、日本経済同様に世界に取り残されてしまう。
この2年、大して移動距離を稼ぐこともなく、大好きな京都・奈良にも行かずに自宅とアトリエの往復程度である。とはいえ、そんな今の時代の世の中なので、内向きな生活を送っていれば尚更で、自分の環境に対し何かしらの変化を求めたくなる。それが、良い方向なのか悪い方向なのか今はまだわからないが、確実にこれまでとは違う方向に進みつつある。これは自分だけではなく、世の中自体もそうである様に思う。「思う」ではなく絶対にそうである。恐らくそれは、生命が持つ危機意識が高まった結果であり、当然のことなのだろう。そうやって地球は46億年回り続けているわけだ。
では一体何が?なのだが、パンデミック以降自分にとっての変化は南米に目が向いたことだ。南米には2000年に仕事で一度行ったことがあるのみで、興味がないわけではなかったがその後一度も行こうとは思ったことがなかった。その時はコスタリカに行ったのだが、成田からサンフランシスコに向かい、乗り換えてメキシコで降り、そこからさらに飛行機で南下しサンホセという街に降り、車で3時間ほどガードレールのない絵に描いたような危険な山道を乱暴な運転で走り目的地を目指す。結局、丸一日ほどかかったと記憶している。残念ながら、その頃は今みたいに写真を撮ることが身体の機能の様なものではなかったので、画像は何も残っていない。
ホテルの敷地には野良猫同然の様にイグアナがいる。しかも相当数だ。石を投げれば当たるくらいうじゃうじゃといるのである。猫でもいたら食われてしまうのでは?そんな感じだ。そして近くの川には6m級のワニもいる。ワニ園ほどの数でいる。時に、川を降り海に出てサーフィンをする人を食う、なんていう事故もあるそうだ。そんなことも知らされず、付き合いでサーフィンをさせられたのは良い思い出である。命をかけた接待サーフィンなんて聞いたこともないが……。
話は少し遡り、コスタリカはサンホセの街に降り立った時のこと。空港に着いたのは真夜中だった。その夜は街に泊まることにし、タクシー運転手にその時間でも素泊まりできそうな安宿を案内してもらい、宿に着く手前の薄暗い通りの角に娼婦が立ち並ぶのを見て、その地区の治安度合いを何となく悟る。着いたのは夜中の2時過ぎあたりだったことや通りの雰囲気もあり、散策は諦め宿の向かいにある食堂に入るだけにした。そんな時間に営業していることも不思議だが、割と賑わっているのである。南米感あふれる薄汚い酒太りした中年たちがテレビを見ながら楽しげに何か話をしている。その中に東洋顔の二人組が入るのだから相当気になったであろう。店内は途端に静かになり皆こちらに釘付けである。テレビと奥から聞こえる調理の音のみが響き、緊迫した空間が一気に広がる。こちらの高鳴る鼓動や息を飲む音まで聞こえてきそうなほどだった。しかし、こちらも負けてはいけない、素知らぬ顔して空いてる席を指差し、いつもいく馴染みの店での振る舞いと変わらぬ仕草で席についた。その後も目線はこちらを捉えたままだが、こちらに敵意がないことを確認したのか、周りの常連たちも我々が入店する前の平穏な時間にすっと戻っていったのである。あちらもこちらに対し敵意を持っていないことを確認し、メニューらしきものに目を移した。皆目見当のつかないメニュー表ではあるが、なんとなくその中から食事っぽいものを指さし定員にアピールした。多少の緊迫感を出しながらも、努めてリラックスした表情のまま店内を見回し、床に目をやるとゴキブリがパックマンの画面の様にあちらこちらを忙しそうに走り回っている。仕方ない、ここは南米コスタリカの街サンホセである。彼らのことなど店にいる誰もが全く気にしていないのだから、こちらもそれに倣うしかない。幸い、その頃住んでいた東京南側の下町にある30平米程の住まいは、見た目こそ立派だがゴキブリと屋根裏にはネズミが住まう生き物館だったので、床を這う奴らには慣れていたし、それよりも、果たしてこの店から無事に出られるのか?それを心配する必要があった。結果から言えば、出てきた食事も衛生的に安全かどうかは別として味もよく、ぼったくられることも居合わせた客に襲われることもなく、南米の普通のダイナーだったのである。事情が分からぬことで、少しスリリングに感じただけのことだ。
ということで、南米というだけで緊張感が出るのは私だけではないだろう。実際に危ないことは確かではあるが、それは運やタイミングもあるだろう。でもそればかりは神に任せるとして、最善の注意は払いながらも行きたいところには行くべきなのである。
好き好んでこの時代に生まれてきたわけではないが、今この時代に生きているのは確かなことであり、生きている以上精一杯生きたいと思うのは当然であり、やりたいことやできることをしたい。その際に生じるリスクは織り込み済みなので、多少の傷も仕方ない。そう思っていれば、何かあっても命さえあればいいのである。
これまで欧米の旅が多かったがこれからは様々な方面へ足を運んで行きたいと思う。歴史でしか知らなかったパンデミックの世界を体験し今なおその渦中にいて、これからどうなっていくのか今この目でそれを見ているのである。こんなにも興味深いことはない。状況に打ちのめされていてはいけない。今をどう生きるかである。そう思う上で、また旅を再開していきたいと、新宿の片隅にあるアトリエで思うのである。