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Entries by CITERA



Happy Halloween!
何がハッピーなのか皆目わからないのだが、とりあえず言ってみる。今日は10月31日なのだから。ズバリハロウィーンの日にメルマガを飛ばせたこと自体がハッピーである、ということにしておこう。もしくは、自分が単にご陽気でハッピーな奴なので、つい言ってしまったのかもしれない。そもそもハロウィーンというものは昭和生まれの者には習慣づいていないわけで、学生になり東京へ出向けば山手線で仮装した外国人に遭遇し、そのイベントは「彼らのもの」と認識し、ご陽気で楽しそうではあるが自分達は蚊帳の外であった。山手線の中で仮装した大人が楽しげに友人たちと盛り上がっているのを、我々和人は冷ややかに、そして羨望の眼差しで見ていたものだ。近所の家を周りお菓子をもらうことなど想像もせず、長きに渡り何でもない10月31日を過ごしてきた者にとっては、欧米文化を浴び続け戦後から何十年も経ったとて対岸の火事の様なものであった。

そうそう、ハロウィーンの日に山手線で遭遇する仮装した外国人。彼らは山手線に乗車し、一日中ひたすらその仮装のまま酒を飲み車内で騒ぎ過ごしている、という噂があった。あくまでも噂であったがさすが欧米、ハードコアな楽しみ方があるものだ、と羨ましく思ったものだ。





私にはそんな思いや過去があるのだが、昨今ではその外国人を上回るほどの騒ぎになっているのが日本のハロウィーンである。度を越して禁止になっているほどなのだが、それよりも前に仮装のその中身について物申したい気持ちがある。ハロウィーンは死者の世界と繋がっていることを表現したものであるので、仮装はそういった趣旨のもとで行われ、ガイコツやオバケ、スプラッター的な物に仮装するのが正しいスタイルである。がしかしだ。
日本にとってハロウィーンは仮装すればOK、という履き違えがある。正直どうでも良いのだけれど、全く関係のない仮装をしていることがどこか可笑しい。ドラゴンボールの孫悟空、なぜかその声優である野沢雅子さんの仮装とか、全く仮装とは思えないただの普通の人に扮した人など、訳の分からない事態を見ることができる。物を申したいとは言ったが、面白いのでもっとどこか違う方向にどんどん向かっていただきたい。その時に話題になった人に仮装する人も多いと思うが、そうではなく明後日の方向での仮装に励んでいただき、我々をもっともっと楽しませてほしいのだ。









兵士の仮装と称し、カーゴパンツに編上げブーツ、流石にマシンガンを持つのはモデルガンといえども物騒なので、水鉄砲くらいにしてほしいところ。突然兵士を出したのは、今回のアイテムがカーゴパンツだからである。急にハンドルをきった形となったが、お許しあれ。このメルマガにはよくあること。無理矢理にでも本題に入っていったことだけでもよかったと思っていただけると助かるのである。

さてそのカーゴパンツ、それはとても反応がいい。それは何故か?と問われたとしたらどう答えようか?ミリタリーアイテム自体が反応がいいとも言えるのだが、中でもカーゴは特段に反応がいいのでやはり何かしらの理由があるはずだ。けれどもその理由が思いつかない。自分でもカーゴパンツが好きなのでその理由を理解していそうだがよくわからないのである。理由もなくただ何となく好き、というわけでもないので好きなポイントを考えてみよう。








まずその名の通りカーゴポケットが付いていること。これは絶対に間違いない。腰と膝の間のサイドにあるこのカーゴポケット、これがあるだけでぐっと魅力的に見える。基本的にパンツというのはシルエットに重点を置いて選んでいるもので、ディテールを求めて穿くものではない。そうなるとデザインポイントが少なくなり面白みがない。しかしそんなことを考えながらパンツを穿いているわけはない。冷静に検討してみればそこが盲点となり、カーゴポケットが付くだけでポイントが上がり魅力的に見えてくる。要するにパンツのポテンシャルは低いと思い込んでいるがために、些細なことが起きただけでもポイントが加算されるのだ。ディテールが増え、目のやり場ができ、そして何より使えるポケットが増えることで便利なものとなる。こんなにいいことがあるなんて、カーゴポケット素敵!






しかしだ。カーゴポケットの付いていない例えばベイカーパンツはどうだ?ポケットが付いていないのに、カーゴパンツと同様に好きなパンツなのだ。せっかく理由が見つかったと思ったのに、覆されてしまった……。しかも自分で書いておきながら、しっかりと否定までしてしまったのだから困ったものである。どうしよう、このメルマガの落とし前をどうつけていくべきだろうか?冒頭でしたハロウィーンの話題に助け舟を出したいところだが、今更である。我々世代にはハロウィーンは身近ではなかったが、戦争映画や軍を舞台にした映画は身近であった。ハリウッドから送られてくるそれらは、少年たちの目にとても格好良く映ったのだ。プラトーン、フルメタルジャケット、トップガン(個人的にこれはそうでもなかったな……)、とにかくベトナム戦争というものがアメリカにもたらした社会現象は大きく、良いテーマとなっていたこともあり、その根本は理解せずとも映像的な格好良さに心奪われたのだ。それだ、それなのだ、私がカーゴパンツに惹かれる本当の理由は。






劇中に映る全ての兵士がカーゴパンツを穿き戦場を駆けずり回り、撃ち、倒れ、仲間を救うその姿に様々な感情をいだいたものである。そして、戦場でもない、ベトナムでもない、さらには劇中でもないこの東の最も端っこの地で、ファッションやカルチャー的なアティチュードとしてそれを穿き、この時代に戦争を象徴するアイテムを身につけることで平和を謳歌している。スタイルやデザイン、ディテールそんな些細なことではなく、カーゴパンツが好きな本当の理由はそこにあるのだと、今これを書くことで初めて理解したのだ。













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