日一日と秋が深まりつつ、渦中にあるその秋を味わう前に、さらにその先にある冬への支度を考えてしまう今日この頃。現代人とやらは、常に先走ってしまい、足元に落ちている「今感じる小さな幸せ」これを蔑ろにしてしまうのだ。100年前の現代人もそうであったのか?産業革命後の目まぐるしく変わる近代化の中で、今の現代人と同様に、足元の小さな幸せをうっかり踏み潰してしまっていたのだろうか?
そんなことを考えるのも、「哲学の秋」として足元にある秋の一つを実は楽しんでいるのだ、なんて思えてしまったりするので良いのだけれど。朝夕に感じる冷たい風を「あぁ、寒さが近づいてきたんだな」と懐かしくも新鮮に感じてみたり。これまでクローゼットにしまってあった、またはこの秋に新しく手にした上着に袖を通すことで、退屈な駅へのいつもの道もどこか楽しく感じられるのが、今この季節の変わり目なのだ。常に連続しているこれまでの日常が、季節の変化によって新しい感覚で自分の中に迎えられ、今この瞬間にしかない胸の高鳴りの様な高揚感を、逃すことなく味わいたい。それは、旬の食べ物を舌に乗せ、舌先から足の先という全身に染み渡るあの幸福感と同じであり、夜道に人のいないことを確認し、年甲斐もなく軽いステップを踏ませてしまう、自分を覚醒させる様な季節に、私たちは今いることを忘れてはならないのです。
私たちはさまざまな理由を作り、新しいものを手に入れる。理由を持つことで、物欲任せの衝動買いから一歩下がった冷静な自分を保っているのである。それは最も人間らしい冷静さであり、我が肉体の主人として自分をコントロールできている証である。しかし、時には手枷足枷を外し、欲望のままに自我を解放し内面から湧き立つ欲に支配され、野獣の様に暴れた後にふと我に返り、「一体自分はどうしていたのだ?何に取り憑かれていたのだ?」と小説や映画の中での多重人格者ならではの、異常性に頭を抱える主人公の気持ちをひと舐めする様な気分も、たまには良いのではないだろうか。
全てのことには理由がある。たとえそれが欲望的、衝動的であっても。頭では皆目理解できないことであったとしても、脳や細胞レベルにおいて何かしらの理由を持っているのである。論理的な理由を見つけられなくても、後付けで自分を納得させるのにちょうどいい理由をでっちあげればいいのである。高カロリーなものを食べ続けたとしても、体力が弱っていたから、とか、冬に向けて脂肪をつけておくためであって、熊とか冬眠動物はこの時期たくさん食べるもん、とか。人間は冬眠しないのであるが……。そんなトンチンカンな理由でもよく、何かの欲を満たすことは、人間にとっては非常に重要なことである。あれが欲しいこれが欲しい。
上等ではないか。我々は、無駄や犠牲で溢れるこの21世紀に生きているのだ。皆それぞれ好きに生きればいい。いつか自動的に終わりがくるだろうし、地球という大きな自然、もっと言えば宇宙の中の自然物の一つとして、人は勝手気ままな存在なのである。悪玉なのか、善玉なのか、綺麗に50/50なのかわからないが、宇宙の中の一つの細胞と捉えれば、私利私欲にまみれたことなど、大して思い悩むことではないのである。それが人の習性なのである。
だから思った様に好きなことをすることが、最も健康的なのである。世間がどうであれ自由に考え、行動すればいいのだ。CITERAはウェアブランドの一般的概念から全く外れたブランドである。他のブランドが行っている様なスタイルを持ち込む方がいい、とかああだこうだと言われることもある。それがどうした。子供の頃によく言われた言葉を思い出す。「うちはうち、よそはよそ」。これでいいのだ。そう、バカボンのパパの「これでいいのだ」だ。この世の中に必要なのはバカボンのパパ精神なのだ。確か元はフランスの「ヴァガボンド」で、「さすらい」とか「放浪」とかそういった意味の言葉であって、赤塚不二夫は自らが持つその精神を「天才バカボン」として表現していたのだ。現代に生きる私たちには、改めてその精神が必要なのではないだろうか?
振り回されるよりも振り回す側でいいのだ。もちろん人に迷惑をかけてしまうことは避けたいが、迷惑をかけたとしても、自分も誰かに迷惑をかけられているのである。それでチャラとしておこう。地球はあっちが出ればこっちが引っ込む。そうやって回っている。そう片付けでもしないと、この混沌とした世の中では頭がどうかしてしまうのだ。だから少々乱暴なやり方(一般と比べると)であっても、それを個性としてメリットに転じさせれば万事うまくいく(そう思っている)のである。これでいいのだ。
覚悟を決めてその道で進むだけだ。人が自分で思いつくことなんてたかが知れてる。誰も通っていない道を進み、転び、傷つき、騙され、泣いて。それでも生きていればそれが正しい道だ。誰かに決めてもらう必要などない。今立っているその場所が自分にとっての正解である。それこそが自信や説得力となり、陽の当たる道となるのだ。そう信じて生きていかないとやってられない、そんな世の中に我々は生きている。今一番着たいと思うからこそ、このウールのAUTOBAHNをおすすめするのである。これでいいのだ、これがいいのだ、である。
見た目も着た感じも暖かいこのジャケットが好きだ。デニムでもチノでもミリタリーでもスラックスでも、どんなスタイルにだって合うその適当さが好きなのだ。