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Entries by CITERA



ようやく、ようやく秋の空気を感じる様になりましたね。どれほどこの時を待ち望んでいたでいたことか。これはもうこの先、気温が下がらないのではないか?などとあり得はしないことを考えてしまうほどに秋は来てくれなかったわけですが、ここにきてようやく秋の気配が訪れ、胸をなで下ろす気分。四季に慣れた国民の気持ちを揺さぶる悪戯な昨今の気候には参っていますが、地球からしたら「自業自得でしょ」と言われてしまうのがオチではあります。美しい季節のうつろいを楽しめなくなってきているわけで非常に困ったものです。こちとらさっさと、温かいお茶と共に甘くとろけるほどの焼き芋を楽しみたいし、上着の襟元を立て「さみっ」と小声を溢し足早に家路を急ぐことだってしたい。

暑さも寒さも好きなので、気温によって気持ちや行動に制限がかかることはないのだけれど、1年を通じて各季節が均等に来て欲しい気持ちはある。暑い時の楽しみを味わえば、暑くもなく寒くもない時も同じだけ味わいたい。そのニュートラルな季節が非常に少ないというのは些か寂しいのである。いや、寂しいだけではない。その時でしか味わえない楽しみだってたくさんあるのだ。そこを飛び越して急に寒いモードになってしまっては、日本人情緒が崩れてしまいこの国に生きる者としてのアイデンティティの崩壊にも繋がりかねないので、しっかりと秋と春を確保していただきたいところである。





本来ならば今頃は、暑くもなく寒くもないそんな季節なのだが、実際はどうだろうか?。今朝は16℃だったようで少し肌寒く感じる。昼間は24℃まで上がるそうで、場合によっては少し暑いのかもしれない。湿度の具合にもよるので実際に体感するまではわからない。そうなると、1日の中で上着や長袖のものを着たり脱いだり、そういった行為がつきまとう。そんな脱ぎ着を面倒と思うのはなかなか怠惰な奴、などと思われてしまいそうだが、正直そう思うのだから仕方がない。私はそういう奴なのだ。一度着たものはできれば、夜のバスタイムまで脱ぎたくはない。上着くらいならいいが、Tシャツの上に着たパーカーとかニットなどは特に脱ぎたくない。下のTシャツの捩れとか袖のめくれなどをいちいち直すなんてのがまあ面倒臭いことこの上ない。今、書きながら思ってしまったのは、自分はよほどの面倒臭がりである、ということ。









しかし、あの着る時の「ねじれ」は嫌なのである。直せばいいと言われればそれまでなのだが、なぜかねじれが取れないときがあったりする。それだ、それが最も嫌なのだ。子供が自分がなぜ泣いているのかわからないが何かしら気持ちに不快感を得て、意味もわからず泣いてしまうあの感覚に近いというか。とにかく気持ちが悪い。袖のねじれは特にだ。ロンTや長袖シャツの上にトレーナーやニットを着れば袖は必ずねじれてしまう。そしてその状態が一番直しにくい。特にシャツだ。シャツの袖のそれは困ったものだ。しかし長袖のシャツの上にニットやカーディガンを着たい気持ちは、これからぐんぐんと上がってくる。そう、今回紹介するウールのものだ。ラグランスリーブやカーディガンは特に着たい。








これは昨年リリースしたものをラグランスリーブにしたり、カーディガンタイプにしたものである。胴部の脇や袖後部を異素材に切替えることで、ありふれたウールニットも新鮮に感じる。自宅洗いが可能なこともポイントが高い。既に縮めてあるのでもう縮まない。1mmも全く縮まなわけではないだろうが、着用に影響が出るほどになることはないので、安心して洗濯していただきたい。もちろんネットに入れて、丁寧に洗った方がいいのは当たり前の話なので、乱暴に洗濯機にそのまま突っ込み普段通りに洗わないでいただきたい。






ラグランスリーブのニットものってとても便利。セットインスリーブも同じですけどねw。そこは単なる好みの問題なだけで、どちらであっても便利ですね。昨年はセットインだったので今年はラグランというだけのこと。そして今年はカーディガンも追加した次第で、こちらは前立て部も別生地に切替えアクセントになっている。丸い金属のリングボタンと相まって、ありそうで無さそうな、普通なのか普通じゃないのか?しかし、奇抜さを狙ったものでは全くないので普通に着られるアイテムである。






おそらくこれを見ている方は、ワードローブにこういったベーシックなタイプのニットは既に数枚持っていそうな予測ができるが、だからっと言っていらない、とはならないだろう。こういったものこそ何枚も持っていたりするわけだし、いくらあっても困らないとも思える。毎年毎年買い足し、貝塚のごとく、ニット塚を作り上げていただきたいほどである。これまでに自分が集めてきた様々なアイテムで築き上げ、時にアーカイブとして振り返り、その自分なりの服の歩みを年表に見立て味わい返すのも楽しいことである。

縄文人は自分達が消費した貝の積み具合を見て、「沢山食べてきたなぁ」などと感慨に耽ることはなかっただろうが、人というのは時に振り返り自分の行ってきたことを、冷静に見返すことは必要に思えるのである。













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