5月下旬に沖縄が梅雨に入り、そのニュースを聞いてなんとなく気持ちはどんより。数週間後にはここ関東も梅雨入りか、なんて少し憂鬱になる。日々の物事に気を回しているうちに気づけば6月に突入していた。6月は「水無月」と言うが、雨の時期なのになぜ水無し?と子供の頃に思ったもので、これは旧暦とのずれによるものということも当時身の回りの大人もしくは学校の先生から聞いた覚えがある。
旧暦によるのなら季節感がずれてても不思議と納得がいくが、気候変動による季節と文化的なものがずれてくるのはどうも納得がいかない。しかし、そういった自然環境の変化も時間が経つことによって自然と文化と馴染み、違和感なく人々の暮らしに組み込まれていくのでしょう。今が過渡期で安定しない時なのだとしたら、なかなかそんな変わり目を体験できないので有難くも感じるが、それはそれで面倒くさく思うことでもあるのです。正解が何なのか分からないからこそ、面倒だなと思ってしまうのかもしれない。
そんな不安定な時代の不安定な季節にちょうど良いのが、パイル地のシャツ。少々強引な結び付けではあるけれど、テキトーに言っている訳ではない。この時期にパイル生地は「適して適(かな)っている」のです。そう適当なのです。テキトーと適当、これ結構難しい問題です。同じ言葉なのに意味が真逆という。口語だと分からない時がある。え?どっちの適当?なんて思うことがあり、日本語って難しいなと感じる一つの言葉。よく使う言葉だからこそそう思う。
人は言葉を扱うことでややこしい世界を作っている。教育において皆同じ文脈の中で言葉などを教わるが、結局は個人の捉え方によって同じ言葉でも変わってくる。そもそもはそれぞれの生活環境や親、友だちなどによって変わってくる。言葉って存在しているのに存在していないものだから、それぞれが扱う魔法の様なものと捉えるとわかりやすいのかも。扱う人によって威力、効果などが全く違う。扱うのが上手い人もいれば上手くない人もいる。あぁ、言葉って大変……。
言語学者なら、理論的に説明できるだろうけど、僕はただその魔法を使えるだけの普通の人なので「あぁ、大変……」としか言えないのである。
言葉と梅雨とパイルシャツの共通点は何か?
そんなものはないけれど、梅雨時期は雨で濡れるのでパイルを着てるとなんとなく気が楽になる。それで濡れた身体を拭くわけではないのだが、なぜか少し濡れても大丈夫な様な安心感がある。あと汗をかいても吸収してくれそうな安心感も。パイルのというかタオルの柔らかく優しい感じというのも安心感に繋がる。どことなく優しい人になれる様な、そして優しい人にも見えてしまう。着る物の効果というのは非常に大きい。着ているもので人の印象はかなり変わる。それは言葉と同じ様に扱う人次第で変わってくるのである。
人がパイルシャツを通し、季節や言葉を感じ考え人生の中で人と自然の関係性から言語学にまで行き着ける、というと言い過ぎだけれどパイルシャツのそのポテンシャルの高さは半端ではない。
実を言うとパイルシャツを所有したことはなくて、欲しい欲しいとは思ったものの手に取る機会がなかった。そういう人は案外多いのかもしれない。と思い、ある一定の需要はありそうだなと踏んでCITERAで作ってみた次第です。なんの変哲もないパイルシャツですが、光を吸い込むマットな質感がクール! そのマットな中に点在する貝ボタンの光の反射によるコントラストがリッチであり、小さめの衿と相まって上品に見える。パイルだからといってそのままダイレクトに仕上げるのも乱暴なので、内側にメッシュを使っているのも気の利いた仕様と思っています。スポーツ的な方向性で作りつつも、品良く仕上げていったわけで、リゾート向けにリラックスできる夏のシャツといった趣。プールサイドでミラーレンズのサングラスとフルーツが盛られたこれ見よがしのごっついドリンク片手に、着ているイメージ。そんな余暇を過ごしたい。もちろんリゾートなんて関係なく、蒸し暑い都会の中で着たとしても格好が付くシャツである。
ブラックとオリーブの2色あるのだが、オリーブを見ていて思ったのは、苔むした雰囲気。千利休が見たのなら茶をたててくれるだろうし、松尾芭蕉が見たのなら一句詠んでくれそうである。
草の戸も 住み替はる代ぞ 苔むしてかな
なんのこっちゃ、である。
子供の頃、タオル地で作られた象のぬいぐるみを抱えていた。肌身離さず抱えたその象は降りかかるストレスから子供の私を癒してくれた。その代わりに象はボロボロになっていった。最終的に九州に旅行へ行った際、どこかで落としたのか置き忘れたのかして私の手から離れていった。
子供によく見られる、タオルや毛布などに顔を擦り付けたり口に咥えたりする行為は、「セキュリティーブランケット」などと言われるが私の場合は「セキュリティーエレファント」だったわけで、ゾウが世間のストレスから私を守ってくれていたのだ。
世間というのは厳しいもので、世に産み落とされてから棺桶に入るまで、なんとも修行のような日々が続く。成長するにつれすとれるは増えるのに、そのストレスを緩和しれくれる「セキュリティー〇〇」は無くなっていく。大人こそ「セキュリティー〇〇」は必要なのではないか?
もちろんそれが酒、タバコ、ギャンブル、その他趣味なのだと思うが、こっそりと顔や口元をタオル地をふにふにとあてがい、子供の頃の様にストレスを緩和してみるのはどうか?世間はまさかこのパイルシャツをそういった意味で着ているなんて思わないだろう。堂々と着ながらこっそりとふにふにしてみる。
このシャツは「セキュリティーパイルシャツ」という立派な緩和アイテムでもあるのだ。