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Entries by CITERA


この10年くらいでしょうか、それとも20年くらいでしょうか。経験してきたのにはっきりとは覚えていないのが季節のこと。毎年、「去年の夏ってこんなに暑かったっけ?」とつい聞いてしまうのだが、そのくらい覚えていない。それとも温暖化が本格化してきたことで、本当に去年よりも暑いのか?果たしてどちらなのだろう……。
というわけで、そういったことを含め春という季節が極端に短く感じるようにもなってきた。四季の移ろいの美しい国である日本が変わりつつある。寒いか暑いか、という極端な季節感へ。冬は冬で極端に寒くならなくなってきているし、私の行動範囲の関東の話ではありますが温暖化というのが体感としてはっきりと感じられるようになってしまいましたね。日本の亜熱帯化もますます現実味が出てきてしまったと思わざるを得ないわけで、それを自分が生きている時に体験できるというのも良い様な悪い様な。学校の授業で知るべき地殻変動とか気候変動を、目の当たりにできるというのは複雑な気持ちなのである。





ゴールデンウィークを挟んだここ2週間ほどは割と安定した天気が続き、Tシャツにもう一枚着るくらいが丁度いいと思って出たが暑くてTシャツになる、という感じでそれだったらはなから半袖のシャツでも着ていれば良かった、と思ったりもするがしかし、日が沈むと寒くなるのでやっぱり良かった、と安心したりの日々を過ごす。季節の花も桜から藤に変わり、ツツジも街路に咲き乱れ、街を歩けば目に美しく華やかな色が楽しめる。春らしい気候がなくなりつつあるけれど、梅雨に入るまでのこの微妙で清々しい時間を少しでも味わいたいと思うのである。風薫るこの時季は他の季節よりもどこか愛おしく思えるのは、思考や筋肉といった細胞レベルを活性化させるエネルギーがあるからだろう。この時期に何かを始めるのもいいと聞いたことがあるが、それもそういったことに由来しているのかも知れない。人も地球のエネルギー体の一部と考えれば、それも納得のいくことである。





唐突ではあるが、話は変わってOP SHIRTについて。
このところ自分の中で流行っているリング状のスナップボタン。昔、歯医者なのか町医者なのか忘れてしまったが、それらの医療従事者の着ているものに使われてて興味を持った。子供の服にもよく使われているからなのか身近に感じた様に思う。しかし、大人になってみるとそれらが使われた衣服に出会うことはなかったかも知れない。もちろん皆無とは言えないだろうが、自分が通ってきた衣服道には落ちていなかったのだ。こんなにもシンプルで、というかそっけないのに目に留まる上簡単に使えるのだから使わないのは勿体無い。






とてもCITERAっぽい付属と思える。着るものなのでプロダクトとは言えないのだが、少しでもそちら側に寄せたいと思う自分には最高の付属である。金属系の素材があると衣服が違って見える。かといって金属プレートなんかを付けると明後日の方向に向かってしまい野暮ったくなってしまう。頃合の良いものとなると実に少ないため、こういったものは積極的に取り入れたい。しかし、頻発させるのも違うので、1シーズンに1アイテムくらいにしておくのが自分の中での正解としている。CITERAのアイテムというのはそのくらい控えめな方が良い。それでこそ都会的と思える。

街で人がすっ転んでも無視して過ぎ去ってしまうその都会的な冷たさである。流石に倒れたりしたら無視してはダメだ。すっ転んだくらいなら無視でいい。すっ転んだ方もお声をかけられては恥ずかしいことだってある。逆に、すっ転んで「まずい!」と思った時はしばらく倒れ動かないままでいるといい。そうすると初め無視していた周囲が心配そうに周りに寄ってくるので、そうなったら起き上がり笑顔で「転んじゃいました」と笑顔で言えば何となく恥ずかしいを超えたところに行けるのである。





それもまたトンチの効いた「都会的でクリエイティブな人」としてまた一つ徳を積んだ様に思え自分を誇らしく思えるだろう。積極的にすっ転んでみたくもなる。リングのスナップボタンとはそういったものである。いや違う、全然違う。そんな馬鹿馬鹿しいもではなく、もっとクールで洗練された付属なのだ。





ワークスタイルのデザインをチリチリと静電気を帯びた様な輝きを見せるテクスチャーを持つ軽量の生地で仕立て、そこにリベットとリングボタンで金属的要素が持ち込まれることで、ワークをきれいに仕上げつつエレガントではない格好よさに持っていく。デザインした者を賞賛するのではなく、その物自体が素晴らしいのであり、その素晴らしさに気づいてもらうためのお手伝いをしているにすぎない。細かいディテールがあってこその衣服。衣服の魅力はそこにあると思う。だからこそディテールをよりディテール感が増す様な使い方をしたい。決して過剰にディテールを盛り込むのではなく、日本庭園の置き石の様にさりげなく、しかし威厳を持つものとして見せる、その粋な仕事がされた衣服が欲しいと思ってる。

そういった衣服こそが都会的であって、都会に生きるとかではなく精神の話なのである。都会とは精神論であり、現代において何を選択しどう生きるかでその人の価値が築かれていくのだろう。










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