「暑さ寒さも彼岸まで」というが、これまではその通りなんだかんだと9月の残暑もお彼岸でさようならとなっていた。しかし今年はそうではなかった。それから1ヶ月を過ぎたがまだTシャツで昼間を過ごすことも多い。洋服関連の仕事をしていると日々気象情報が気になる。日々どころか今年の傾向にも関心が向く。そしてどうやら今年の冬は暖冬なんだとか。暖冬だからといって全く寒くならないわけではない。寒くならないのなら、もうアウターは要らないと決め込みアウター手前のものを充実させるのだが、そうもいかないだろう……。結局1月、2月は寒くなるのでそのためにしっかりとしたアウターは欲しい、と思ってしまう。それで実際に1月、2月になり全く寒くなかったらどうしよう?なんていう変な心配もしたりしなかったり。昨今の気象変動には全く困った次第だ。
結局今のところ、先のことは先の自分に任せその時に必要な装備を用意すればいいわけで、今必要なものにフォーカスするしかない、そんな時代の今日この頃。先にも書いたが、10月も下旬であるのに昼間は半袖で過ごし、外出の際にはスウェットやニットあたりを手にして出掛けることがしばしば。先日行った韓国ではTシャツにニットを着て街を練り歩くのがちょうどよかった。ニットはスウェットなどより目が粗いので風通しがよいのでこの時季にはちょうどいい。スウェットなどよりも軽く優しい肌触りのものを選べば素肌にあたる部分も気持ちが良く、ふと「良いものを持っているなぁ」と思えるのでどこか得した気分にもなる。
ニットを着るならまさに今のタイミングなのだと思う。コットンニットもいいのだが、このあと一応冬が来ることを思うとやはりウールのものを選んでおくのが正解だ。子供の頃にテレビCMで「触ってごらん、 ウールだよ。」というナレーションのCMがあった。果たしてそれがどこのなんのCMであったかは覚えていないが、そのコピーは今もはっきりと覚えている。おそらく同世代の方なら同じであろう。完全にそのコピーが刷り込まれている。しかし、その刷り込みはなんの役にも立っていない、今のところ。「触りました、はいウールですね、で何か?」と言いたくなってしまう私は少し意地悪なのだろうか?
ウール製品を促進したいのは分かる。それがウール協会なのかアパレル企業のプロパガンダなのかはわからないが、ウールはいいですよ~、ウールを着ましょうね~、と優しく頬でも撫でられている様に思えればいいがそのCMを見ていた子供の私は、質の悪いちくちくごつごつのウールで頬を撫でられる様で痛みさえ感じる思いでいたのだ。恐らく、その当時親に着させられていたウールのセーターの質が悪く、ウールに対してそれはチクチクして嫌なものという印象があったに違いない。
80年前後に一般的に着られていたウール製品はそういった質の悪いものが多かったために印象が良くなく、それをなんとかしたい、ということでウール協会や企業が一丸となり「ウールはいいものですよ~、優しいですよ~」という良いイメージを刷り込むために作ったのが例の「触ってごらんウールだよ」というコピーなのだろう。そしてそれは今思うと「とにかく触ってもらえればわかります!もうチクチクしない良いウールを作っていますから!」という生産側の悲痛な訴えであり、その気持ちはよくわかる。それにしても「触ってごらん、ウールだよ」と渋い声で言われても、その生産者の気持ちは子供の私には届かなかったのである。
それから40年以上が経った今、すっかりこの季節になると肌触りの良いウールのニットを日々愛用していることを思うと、彼らのその想いと訴えは世に広まりその宣伝活動は無駄ではなかったといえる。むしろその活動があったからこそ良いウールが広まったと言っても間違いではない。もちろんあのCMとそのコピーがなくても良いウールが広まっていたと思うのだが、その過程そのコピーがあったのは事実なので、そう思っておくことにするとしよう。
日本の洋服マーケットに良いウールが広まる過程の裏側には、そういった一消費者の小さなストーリーがあるわけで、もっと尽力したのに表に出てこない話も山の様にあると思うがそれらも含め、今季出したCITERAらしさ全開のクルーとVネックのニットの販売は好調なのです。すでにクルーはサイズによって在庫が切れてしまっていますが、Vネックはまだあるので、なくならないうちに手にしてみてください。触ってこそ分かる製品の良さがありますので、ここであれこれとアイテムの話を並べてもそれは陳腐なものとなりうまく伝わらないと思い最後に一言、「触ってごらん、ウールだよ」。