7月に入り、夏を思い出させる気温と湿度が早速襲ってきた。関東では梅雨の入り口は梅雨らしい雨の日々だったが、曇天ではあっても纏まった雨の日というのは意外と少ない。合間合間に太陽が顔を出し、プレサマーとして我らに夏の感覚を取り戻させている様であり、これは全くもってありがた迷惑というやつだ。
さて、6月が終わる時点で「今年も上半期が終わる」と各方面で耳にしたが、こんなことを意識するのは人間くらいなのだろう。時間、日付の感覚を持つのは人間だけだと思うが、我々は常に時間に追われている。もちろんそう思わない人もいるだろうが、時間を軸に生活していることは否定できないと思う。「やばい、もうこんな時間!早く寝ないと!」そんな具合で時間を見てはドキッとすることがある。とにかく時間と人とは密接な関係であり、時間に支配されているのか、時間を支配したことで文明を発達させたのか、それはそのどちらでもある、と言った方が良さそうだ。
時間と人の関係は持ちつ持たれつなわけだ。しかし、時間には意志も考えもなくただひたすら時を刻むだけだ。こちらの気持ちも気にすることもなくただひたすらチクタクチクタクと進んでいく。たまには休んだり、振り返ってくれたりしてもいいじゃないか。それが無理なことは承知だが、やはりそう思い願ってしまうことがある。その不安定さが人であり、そんな不安定さに寄り添いながらこちらを前向きにさせ、前進させてくれるのが時間というやつなのである。
スマートフォンや携帯を持つようになってから、時間を失うことがなくなった。それ以前は、時計が止まっていることが割とあった。時間は止まらないが、時計が止まることで自分の時間軸だけが世間から置いていかれることがあった。目覚まし時計、腕時計、壁掛け時計が止まり学校や約束に遅れたことを経験したことがある人も多いだろう。その失われた時間、エアポケットの様なその時間は結果として得をしている様なものだ。7時に起きるはずが起きたら時計は7時以前を指しているが、実際は7時を過ぎている。しかしまだ7時ではないと認識するので、罪悪感もなくさらに睡眠を楽しめるわけである。もちろん皺寄せはくるが、諦めてしまえば得と思うこともできる。社会生活をしている上ではなかなか諦めてしまうことは難しいが、ごくたまにであればそれも悪くはないはずだ。むしろ積極的に行いたいくらいである。とにかく、時計が止まることで心に余裕が生まれていた。今では不意にそんな余裕が落ちてくることなどなくなってしまったように思う。
では、現代を生きる我々には「不意に落ちてくる余裕」は全くないのだろうか?ないと言い切りたくはないので、無理矢理にでもそう思える様なことを考えてみよう。これも昔の話になるが、電車の券売機の切符吐き出し口に手をかざすと微かな冷気が噴き出し涼しさを感じることができた。そんな些細な幸せも「不意に落ちてくる余裕」であったと考えると、今もまだその突然現れる余裕は、そこかしこで出会えそうな気がしてくる。灼熱のコンクリートの上を歩き、噴き出すような汗、吹く風は熱風、そんな地獄の様な真夏の都会で辛抱たまらず涼を求めどこかのビルに駆け込む。半袖シャツの隙間から冷気が滑り込み汗を冷やし身体を冷却してくれる。この時ほど今自分が抱える煩わしい案件、時間、飛んでくるメールのことなどが頭からすっかり消えてしまうくらいの幸福感を味わえることはない。
薄めの生地のシャツであれば、汗がひき濡れた生地が乾くのに5~10分ほどだろうか。この時間が不意に現れるとは言えないが、その時間だけはさまざまなことから解放してくれる時間であるに違いない。思わず「九死に一生を得た」と呟いてしまうくらいの状況である。現代社会の夏は過酷だ。
夏の青空に映えそうな2種のチェック柄のシャツ。以前にリリースしたグリッド調のものはその柄に合わせ、裾はストレートであったが今回は遊びや余裕を感じるチェック柄であり、風に靡く様が夏に不意に現れるエアポケットと合うと思いラウンドスタイルとなっている。非常に軽く風に靡いた姿は優しく紳士的な雰囲気。トーマスメイソン社の品の良さを柄と質感にも感じ、夏を過ごすためのシャツとして爽やかな装いとなり、無機質な環境でも有機的でカラフルな環境そのどちらでも軽やかな印象に映る仕上がり。いつまでも飽きることのないスタイルをこの夏も提案しているCITERAでございます。