4月と言えば、日本の社会生活においては転職、異動などがあるわけで、慣れない新しい環境に身を置くことで冷静さを失い、あれよあれよと時間が過ぎ「気づけば4月ももう半ば?!」なんて驚かれている方もこれを読んでいる中にいらっしゃるのではないでしょうか。しかももう半ばを過ぎているので、なおさらではないかと。しかし、もうちょっと頑張ればゴールデンウィークがやってくるわけで、ここで後を振り返らずにこのまま突っ走って4月を駆け抜けてしまうのが良いのではないか、などと無責任に思っている次第です。
4月を駆け抜け、ゴールデンウィークに家族や気の置けない仲間との旅行やキャンプにBBQなど楽しい時を過ごし、その後それらの余韻を楽しんでいると、どこからともなく忍び寄ってくるのが「五月病」という言葉。「あれれ、何このダルさ?さては私も五月病?!」などと一種メディアのマインドコントロールで魔法にかけられ、なんとも社会復帰がかったるい、と思わされることもあるので注意したいところ。
実際のところ、ダルくも無いのにその悪い魔法の言葉を聞くことで、便乗しそれを理由にだらしなくなってしまうことがある。実際私も学生の頃、ゴールデンウィーク明けは五月病を理由に学校に行かなくてもいいと勝手な解釈をし、休日を数日延長していたタイプ。特に何もするわけではなく、ただただ海岸線にバイクを走らせ行けるところまで行ったもの。もしかしたら今思うと、それが青春というやつだったのかもしれない。その当時は「青春なんてクソ喰らえ」と思っている青二才。全く自分のことが見えていなかった。おかげで貴重な若い時間を無駄に過ごしていた。今になり反省しても覆水盆に返らず、である。あの頃の、いや、今この1秒さえももう二度と取り戻せやしない。皆様も限られたこの時間、どうか後悔のない様お過ごしください。
と言っておきながら、無駄も必要なものですので、あまり厳しく思わず「その無駄があってこそ」と自分を甘やかしていいのではないか?とも思っています。「人生に無駄なものなどない」とどこかの偉人が言っていた、かどうかは知りませんがそう思えば人生楽しいものです。
さて時間を食い潰す前に本題に入っていくとします。
ストライプの台襟シャツ、しかもプルオーバー。それは20代の頃から着ていたもの。フランス製の仕立ての良い、少し手の込んだ古いタイプの縫製とパターンワーク。オリーブのカーゴパンツや藍が美しい真新しいデニム、7割ほどの色落ちから、かなり褪色したものまでのヴィンテージデニムとも相性が良い。チノやダークトーンのスラックスなどどんなものにでもマッチし、制服の様に洗っては着てを繰り返した。新緑が芽吹く爽やかな季節の中、この手のブルーストライプのシャツほど眩しく感じるものはない。そう思う日々着ていたブルーストライプの台襟シャツ、しかもプルオーバー。
Haircut One HundredのFavorite Shirtsなんて聴きながら、春風になびくそのシャツはそれ自体が青春の様でいて、どこか眩しいのである。その当時着ていたものは、ボタンは普通のものだったが、それよりもモダンでミニマルな雰囲気にしたかったので、今回作るにあたりボタンはリングタイプへと。
そうすることで、ある程度歳を経た自分でも似合う様に思える。ということは、このシャツはこの先もっと歳をとっても似合い続けるのではないか?そう思えるのであり、これまで自分が無駄に過ごした時間を悔いることより、この先の年老いていく時間の方が大切であり愛おしいと思えてくる。青いストライプの台襟シャツというのは不思議だ。何処か人を前進させる力を持ちポジティブなエネルギーに満ちたもの。これまで着てきたものは、単に「着てきた」のではなく、それを着ることでポジティブに導かれ生かされていたのかもしれない。いや、多分そうに違いない。
何度も着ては洗い、少しくたびれてきてもそのエネルギーは薄れることはない。いつまでも永遠に放ち続けるだろう。着るものとは本来そういう存在であり、そこに気づけるかどうかだ。もちろん何を着たって構わないし、どれにだってそれなりの意味はあるだろう。しかし、縫製、デザイン、何を想ってそれが着られるべきかなど作り手側の熱意があるものこそ、着る人をポジティブにさせるエネルギーを持っていると信じている。
21世紀の現代では、中身よりも外身が重視されてしまう傾向にある。映えている方が偉いわけだ。商業的主義であるというのはそういったことなのだろう。「とにかくよく見えるからこれをどうぞ」「それが欲しい」その連鎖だ。人間という生き物はそういうものであって、それが悪いと言いたいわけではない。文明が進めば必ず文化は衰退し滅びるのが摂理だ。それでいいのだろう。滅びるまでは商業的、利己的なことの陰に追いやられながらも、文化的なものは細々と残り続け、そこに重きを置く人たちがささやかながら引き継いでいく。心が満たされるには、誰かの温もりが必要だ。そんな温もりのあるものに包まれながらこの春を謳歌し歳を重ねていきたい。
この時代において同じものを長く作り続けるのは難しい。にも関わらずTHOMAS MASON社は、資本は移動しながらも、その火は途切れる事なく作り続けられている。そこには少なからず、作り手の意地と想いが込められている。誰かがその伝統を亡くしてはならぬ、と強い意志で守っている。その強い想いを肌で感じ、日常をポジティブな気持ちを維持したまま生かされていきたい。だからこのシャツを着る。