12月も半ば近くになり、世の中はここから一気に年末へ向けて走り出す。年が変わることは大きなことだが、日々の連続の積み重ねと思えばそう大きなことではない。昔からよく思う。12月31日の次の日に1月1日になるだけでいつもと変わらないのに、それが年を跨ぐだけでどうしてそんなに大騒ぎしなきゃならないのだろう、と。もちろん、また1に戻るのだからリセットというか、新しいフェーズに変わるために様々なものがそこに合わせて動く。そうなれば、我々生活者もそれに影響を受ける。12月12日から13日に変わること自体、物理的に大した違いはないが、暦を持つ文化の中にあっては、年が変わることは大きなことなのだ。
と頭ではとてもよく理解できていても、子供の頃から感覚的にその変化に違和感を持っていた。クリスマスから除夜の鐘へと続きそしてお正月と、悪夢の中で魔物が追いかけてくる様に怒涛の1週間を過ごす。のんびりと過ごすはずの冬休みはそういった行事に翻弄されてあっという間に終わってしまう。気づけば、宿題なんて手をつけるどころか、学校から持ち帰ってさえいないほどに冷静でいられなくなるこの時期が、私は大好きなのである。
子供の頃、冬になると着させられるセーターというものが好きだった。それを今ではニットというが、「セーター」という響きは今でも脳に染み付いているために、ニットと発する際に脳の中ではいちいち「(セーター)」という吹き出しが出る。セーターを着させられると、クリスマスやお正月がもうすぐであることの証明であり、そのことでセーターが好きだったのかもしれない。子供の自分にとって、冬の厚着ほど鬱陶しいと思うことはなかったのに、その厚着の一味であるセーターが好きということは、他に何か理由があるはずなのである。今考えるとその理由は、クリスマスや年末などの特別感なのだと思える。
セーターというものには、年末の楽しい行事ごとが詰まっているのだ。セーターに合わせて言うならば、毛糸と共にそれらイベントごとが編み込まれているのである。子供のハッピーな頭の中では、いろいろな楽しいものがそのセーターにはぶら下がって見えていたのだろう。だからセーターを着るのは楽しかったのだ。
流石に今では子供の様にイマジネーション豊かではないので、この時期にニットを見ても、そして着ていても、そんな風に楽しげに見えてはこないが、気持ちを楽しくしてくれる洋服の一つであることは確かである。
そんなわけで、着ること同様に作ることも楽しい。それを着ることを想像しながら、どんな仕様にするかを考えるからだ。着るシチュエーションはどんなだろうか、どこに着ていけばよいか、など。とはいえ、普段どこに行くにも同じ格好をし、平凡で地味なライフスタイルを送っている自分には、残念ながらパーティーに着ていく為の、とかキラキラした様な特別な仕様は考えられない。であれば、着ると楽で、シンプルだけど少しだけアクセントもあり、隣の人と絶対に被らず、その辺りで売っているものではないもの、という普通でありながら特別なセーターを作ろう、となる。
それがこのLIGHT CABLE KNIT。セーターと名付けてしまってもよかったが、「今時セーターって(笑)」と笑われたくないので、軽く、ケーブルデザインのあるものとわかる様にストレートなアイテム名に。毛糸の中心が空洞で、ポリエステルを混紡しているので、全てウールで作ったものと比べれば相当軽くなっている。程よいボリューム感と両サイドにある装飾的なケーブルのデザインが、とても冬らしい雰囲気のニットである。
凹凸のある首、袖口、裾のリブ編みもちょっとした主張ではあるが、立派なディテールとしてこのニットが持つ雰囲気作りに一役買っている。どこかを強調させた様なわかりやすいデザインのものが可愛いのもわかる。しかし、このシンプルで普通なものに少しだけアクセントを追加した仕様のニットも、方向性は違うが可愛く見えてしまうのだ。可愛いというのは違うかもしれないが、愛くるしいというのか、逆に目立つというか。昨今の、派手だったり細部が強調されたアンバランスなデザインのものの中では、実に際立って見えてくるし、そういうものを選べないけど、何かしっかりとデザインを考えているものを選びたい人にとっては、とてもフィットするニットだと思う。
結局のところ、ニットであろうが他のものであろうがそれがCITERAというブランドの個性なのだと思える。それが端的に表れているのが、そうは思えないかもしれないが実はこのニットなのである。「クリスマスやお正月の自分へのご褒美」そんな贅沢が許されるのであれば、是非ともこのニットを選んでいただきたいものだ。そしてCITERAという素っ気ないブランドの醍醐味を味わっていただきたいのである。