本来のN-3Bはフードにファーが付き、フード周りのボリューム感もあり、ラグランスリーブで肩のシルエットも何処か山男っぽい大きく丸い印象のため、ボリューム感のあるアウター。そして実際にフードを被りファスナーを一番上まで閉めれば、防寒この上ないお召し物なわけです。細かいことを言うと、ファーにコヨーテの毛皮を使っていた時代から、アクリルの白いフェイクになると、色もねずみ色っぽくなり、それはそれで戦闘機と同系色になって、以前のベージュ系のファーにオリーブのボディのものよりも、少し洗練された印象になってくるのですが、それでもまだ何処かビッグフットっぽい印象のアウターなわけです。
本来、それがN-3Bの格好よさなわけで、その雰囲気を良しとし古着屋で買って誇らしげに着ていたわけです。何年代まではコヨーテだの、ポケット内側がウールボアだのと、聞き齧った蘊蓄のカードを切るように友人同士で披露しあうのも、こういった古着ヴィンテージの楽しいところです。中にはそれだけでは飽き足りず、アメリカに行き自らの手で見つけリアルな情報と共に帰ってくる強者もいたりしました。そういう奴は自分で古着屋を始めたりコレクターになったりと、その後もそれらと長く付き合う人生を送っていたりします。
とにかく軍モノやデニム、そしてスニーカーやスウェットというものは、僕ら世代にとってとても重要なコミュニケーションツールだったわけです。それを介して仲良くなったり、その逆に「あいつは本物を語った偽物だ」とか派閥みたいなものもできたりするのですが、好きが高じてのことなので、「モノ好き」という芯の部分が共通している点で考えれば、外野から見れば「まぁまぁ」という感じであります。
なぜそんな話をしたかというと、こういったアイテムを基に新しいウェアを作っていくことも、本物をこよなく愛する人たちからは忌み嫌われる対象になりなかねないのです。「あんなもの作って本物に対するリスペクトがねぇ」とか言われてしまうこともあるのです。もちろん言われたことなどありませんが、「そういったリスクをはらむ対象を扱っている」という意識を持っているかいないか、なのです。おそらくそれが本物に対するリスペクトなのだと思います。とにかく古着マニアの物に対する執着はすごいのです。「神への冒涜は許さん」といったことになるのです。そういった、信仰心同様の気持ちがあることは本当に素晴らしいわけで、彼らがいることで本来だったら目にすることのない「お宝」を見せてもらったり、お友達価格で譲ってもらったりもできるわけです。
実際のミリタリーウェアから、街着として扱いやすいスペックに下げつつ、素材や形を日常的なファッション目的での仕様にしたりする上で、「神への冒涜」にならないような仕様に導いていくわけです。
多感な10代の頃、外国の映画に登場するアイコニックな登場人物や、ミュージシャンたちはミリタリーウェアを着ていました。東の端っこの小さな島国の我々の目には、とても格好良く映ったのです。帰還兵として実際に戦地で着ていたものをそのまま着ていた、ということなのかもしれないけれど、その説得力というかリアリズムがそこにあり、それを通して反戦や反抗心を説く姿に魅せられていたのです。戦勝国の余裕、そしてその闇などを包み隠さず映画や音楽を通じて表現し、そこに感化されまた何かを作る、そんな連鎖が21世紀になった今でも続き、それはこれからも絶えず続くことだと思います。それがなくなってしまった時こそ、創造性によるものづくりは息絶えるのではないでしょうか。
現代の様々なメディア内で起こっていることは、若干それを殺してしまう状態にある様にも思えます。人のものを真似ることは良くないので、吊し上げられても仕方ないのですが、その真似方や真似た背景を無視し、一つのポイントだけを切り取り、吊し上げることはある意味で危険な状態であると思えるのです。ここではいちいち具体例はあげませんが、ここで紹介しているTHUNDERS COATでさえ、そのように吊し上げられてもおかしくはない対象であるわけです。もちろん、こういった何十年も共有されたミリタリーウェアのデザインに至ってはそんなことはないのですが、ともすれば、これにだって矛先が向く事態になりかねないのではないか。個々では容認していることも、民衆という塊となった時には容認しない、という方向に話が向けばその個々の容認もないものとされてしまいます。
たかが洋服を例にとっての、一個人が考える妄想みたいな話ですが、時代はその様な危険な方向に向きつつある様に感じるのです。もちろん、ノストラダムスの大予言の様に実際は何にも起こらず時が過ぎるのかもしれませんが、数値化が進む世の中にとって、人が大切にする「好き」とか「思い入れ」というのはなんとも扱い難いものです。数値化の恩恵を受けつつも、人が持つ曖昧さを受け入れる余裕みたいなものも残さなければならないと思います。
時代は黙っていても進みますので、その中で否が応でも物事は変わり、それが当たり前として定着していきますが、このTHUNDERS COATの様に、普遍的なミリタリーデザインの良い部分は残し、現在の生活で扱いやすいよう、軽さや、スタイル、細部の切り替えや素材使いなど、今風に手を入れつつも本来のN-3Bの良さを殺さないで表現することで、吊し上げを食らわず、今を生きる我らに自然と受け入れられるのではないでしょうか。古い、とか、新しい、とかで切り捨てるのではなく「温故知新」という言葉を今一度噛み締めこれからの時代を生きていけば、恐ろしい未来にはならないのではないだろうか。
THUNDERS COATを見ていて、そんな風に思う今日この頃です。軽くて暖かいのにスッキリとした着心地のアウターをお探しの方がいましたら、是非このコートを試してみてはいかがでしょうか。