PRODUCT STORY

Entries by CITERA

気づけばもう12月。歳を追うごとに時間というものは早く感じられる。 分母が大きくなるので当然のことである上に、行動範囲ややることも増えるとなればそりゃ1年なんてあっという間である。12月は1年で最も華やいでいると思うのは私だけではないだろう。そして、この時期が嫌い、という人には出会ったことは無い。 お正月が嫌い、という人は割といる。私自身お正月は得意ではない。振り出しに戻ってまた一から積み始める感じがしてどこか落ち着かない。仕事も私事もそのいずれも途切れることなくずっと続いているもので、実際に一から何かを積み直すことは無いのだけれど、カレンダーを見ているとやっぱり振り出しに戻された様に思えてしまう。 そもそもお節料理というものが好きではなかったこともそれに関係してそうだし、西洋的煌びやか感満載の年末を駆け抜けた後に襲いかかる、厳かな年の瀬から正月三が日のあの昭和的な雰囲気、数日間のうちに手のひらを返した様なコントラストにも頭がついていけない。 どうせならクリスマスから西洋的パーティー感に頭の中を支配されたまま我を忘れて一気に突っ走り、七草粥で我に帰ってリハビリ期間も持たず強制的に社会復帰、なんていう方が自分的には合っている。 そんなことを言っておきながら、クリスマスが来ても来なくてもパーティーとは無縁な生活をしているのである。内向きなインドア派として真っ当に、暖かい室内で常にお菓子などを齧り散らしてぬくぬくぽりぽりと過ごすのである。 そう思うと、コタツというアイテムが欲しくなるのだが、あれは人をダメにする装置と思っているので、我が家には装備していない。本当は心から欲しいと思ってはいるが、あれだけは「ダメ。ゼッタイ。」なのである。こたつに入りながら、鍋とか、みかんとお茶とか、お煎餅、猫、天板を返しての麻雀など色々と付随するオプションはあって絶対に楽しいのはわかっているが、廃人になることはわかりきっているため、我が家では麻薬同等の危険物として取り扱いは禁止されている。





完全なるインドア派として快適な冬を過ごすための暖房器具は何であるか。 近年の家事情として最も多いのはエアコンなのだが、我が家の場合縦に贅沢な空間を確保してある構造でありエアコンでは、どれだけサーキュレーターを回しても上部ばかりが暖まり人がいる場所が暖まらない。電気ストーブやホットカーペットなども導入をしたが、補助的な役割にしかならず満遍なく暖かい快適な空間にはならないのである。それを一気に解消したのが石油ストーブである。 火というもののパワーはとても頼もしく、助っ人外国人並みに活躍してくれるのはありがたいのだが、その分豪快な灯油のがぶ飲み姿もあっぱれなのである。 ドクター中松の発明したポンプに助けられながら、助っ人外国人の子分と成り下がりジョッキに灯油を注ぎその剛腕をぶん回してもらう日々。漏れなく湯を沸かしたり焼き芋を焼いたりと、暖かさと共に加湿器を凌駕するほどの加湿やおやつなども提供してもらえるので良しとしている。 人類の進化は2足歩行と火がもたらした食料の加熱による功績が大きいとも言われているが、火があることでの幸福感をこんなにも身近で味わえるのは今も昔も変わらないのであろう。石油ストーブとはいえ小さな窓から見える火柱を見ていると、毎度そんな風に思えてくるのである。





暖かさを確保することで得られる幸福感や安心感は計り知れない。 寒い外では、手袋やマフラーといったアイテムがあるだけで救われた気持ちになる。同じようにフードというものもその一つだ。フードを被ったときに包まれる感覚もいいのだが、使い忘れることも案外多い。フードがついているのであれば最大限に使うことを推奨したい。 外国にいるとフード被っている人を本当によく見る。それが寒さとは関係なくスタイルとして被してあるのかはわからないが、とにかく街を歩いていると男女関係なく多く見かける。そしてそのフードを実際に被ってわかるのだが、被るのに向いているものと向いていないものがある。 そもそもフードの作りが小さいものもあったりしてそれは論外であるが、ガッチリとした素材のスウェットなんかだと重みと肩のひっぱりでちょっと辛かったりもして、着心地というか被り心地というのか不快だったりもする。 しっかりしている分風を通さないから暖かさはあるのだからいいのかもしれないが、あまり被りたい気にならない。





チャンピオンのヘヴィーウェイトパーカーを「重くて肩が凝る」と言って敬遠する過敏な人もいたり。あと子供っぽいとか、ストリートっぽいとか。あ、去年くらい「パーカーおじさん問題」と世間は盛り上がったこともありましたね。 パーカー以前にTPO、そしてごく主観的な話だと思うので、噛み付く様な話でもなかったと思うのですが燃えてましたね。 それよりもパーカーorフーディ問題です。いつの間にかフーディ(後にアクセント)と言うようになりましたけど、ファッション系のみなさんは一気にパーカーからフーディに言い換えましたが、それって日本人よくあるあるで「過去に使われていた呼称を使うと少し恥ずかしい」という気配が作用しているんですかね?この件でもっと言うとそもそも「パーカー」ではなく「パーカ」だろう、なんていうことにも行き当たったりする。 まあなんと呼んでもいいじゃないか、というのが個人的な気持ちでパーカーと言ったりフーディと言ったりで明確な呼び分けもなく全く行き当たりばったり恥ずかしげも無くどっちも使っています。何を思われても堂々としていればいいことだと思うのです。





日本人にとって海の向こうから来たものに弱い感は多少なりともあると思うので、「正しく発したい」という気持ちがあるのかもしれません。 昔、イギリスにいた時、A.P.Cは「エーピーシー」、HERMESを「ハーメス」と言ってて「あっそうか」と思ったこともあったりで、呼び方なんてどうだっていいわけで、自分に馴染んだ言い方をするだけの話で別に恥じる必要などはないのである。 それと同じ様に、そこにフードが付いてたのなら被ればいいのだ。寒ければですがね。なんとなくフードを被るという行為はどこか不届な雰囲気がある様に感じる。それって何故だろう。外国のコンビニ強盗は大体フード被っているから、そのイメージなのだろうか。 マナー違反とまでは言わないが、素行の悪い人に見えてしまうのかもしれない。とはいえこれは意識的なことではなく、おそらく無意識のうちにそういうイメージで捉えてしまっている様に思える。不良っぽいというかはしたない感じに見えているのかも。





とはいえフードに罪もなく、それを被ったところで石を投げられたり通報さられるわけでもない。 暖をとるために必要なら誇らし気に被ればいい。それがあることで寒さも防げるし、どこか可愛げのある雰囲気にも見える。それがニット素材でできているのであれば、また少し違って上品にも見えたり大人っぽくもある。 ちなみに今期のFIELD KNIT HOODIEはえり部は高くなってて首元まで覆うため、フードを被った時の防御率はかなり高い。ニット素材で軽量、そして伸縮性もあるので過敏な人にも肩凝りの原因になりにくいかもしれない。被った際に顔への触れ具合も優しくて心地よくもある。個人的にはジャケットとかコートに合わせて着たりするのが好きである。





BACK TO INDEX