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「むりくり」という言葉を久しぶりに耳にした。「むりくり」は学校生活ではなく社会生活の中で覚え、使った言葉であり、はっきりと定義された言葉として教育の中で学んだものではなく、現場レベルで状況や雰囲気の中で口伝により学ばされた言葉である。 そのため、この言葉が文字化されたのを見たことも自分で書いたこともなく、それがどの様に表記されるのかを知らない。 では一旦その言葉を可視化する前に、まずはその意味を改めて定義しておこう。これまでの経験的観点から定義するのであればその意味は「ある事柄を無理やりにでも納める」ということである。 それが慌ただしい現場の中で説明するまでもなく乱暴に「むりくり」と表現されたのだろう。そうであればその「むり」というものは「無理」から来るものと分かる。では「くり」はどうだろうか。

状況から考えてみるとして、「くり」なんていうものは見えてこない。栗ではないのは明白だ。 そこでもう一度基本に立ち返ってみることにして、社会人となり始めて聞いた言葉の中に「やりくり」という言葉があった。 とある現場においてわざわざ用意や準備するまでもなくその状況の中にあるものでこなしておいて欲しいという要望を伝えるのに「適当にやりくりしておいて」と言われたことがある。 恐らく「くり」はこの「やりくり」が元となっているのだろう。 そしてこの「やりくり」、これ自体は社会に出てから聞いたのだが、「家計をやりくりする」という使い方で後に何かで聞いたこともあるので、社会生活以外においても一般的に使われていたとも想像できる。 限定的にどこかの地域もしくは家庭において使われていたことから始まり、この「やりくり」を使い慣れた者が、社会の中で使い周りに伝播し限定的な現場から、出入りする取引先などを通し次第に日本中に広がっていったと考えることができる。 「やりくり」があっての「むりくり」だったことが整理されたわけだが、ここまで書いてきて自分自身思ったことがそれがどうした?である。





世の中、考えるまでもなくその場の流れや状況により何の疑問や理解もなく身に付いて使い続けるものがある。 それは改めていちいち定義し直してみたところで、習慣として身体や脳に染み付いたものであり、瞬発的に行われる意識するまでもない筋肉運動同様の事柄が山のようにあり、例の「むりくり」もそこにあるもので改めて考えみたところで当たり前のことであり無理に解明させたところで取るに足らないものであることがわかっただけなのである。 少々長かったが、クルースウェットというものはそれらと同列にあるのではないか?などと思うのである。 唐突に何を?という感じではあるが、実に日常的な存在でありわざわざその存在を意識もせずに日々袖を通し身近にあり、そして改めてその存在を考えてみても特にこれといって特筆することもなく、スウェットはスウェットであり当たり前の存在であるという意味で同列と言いたいのだ。もちろん、当たり前の存在であるものこそ特別な存在となることもそこには含まれている。 使いやす過ぎる、使い勝手が良過ぎるために日々手に取り使い倒しているがために、その存在に感謝することを忘れ「さも当たり前」として扱ってしまうのである。





2000年を迎えすでに25年も過ぎ洋服業界においては世界を巻き込んだヴィンテージブームが起きている。 その主軸にあるのは言うまでもなくデニムではあるが、スウェットもそのブームに乗り恐ろしく高騰している。 取るに足らない作業着や運動着だったものが時を経て、失われてしまった人間が紡いできた生活文化の象徴として崇め立てられる存在となった。 我々はスウェットというものをその時のユニフォームとして着倒し、振り返ることもせず乗り換えてきたのだ。 その反動として過去に脱ぎ捨てられてきたものを振り返り拾い集め、感謝や戒めの気持ちを無意識の中で遺産的価値として見出したのではなかろうか。 そばにいて当たり前に日々を共にしてきたからこそ失った時ほどにその存在価値の大きさに気づいたのだろう。それらのムーブメントがありながらも絶え間なくスウェット自体は継続して存在し続けている。 時代が移り行く中でこだわりを持った良質なもの、またそうではない大量生産を目的とし手軽に手にできるものなどその選択肢は多く存在している。





常に思うことだが、洋服というものは本当に進化しにくいものである。進化を求めるわけでもないのは言うまでもないが、それほどまでに人々はクラシカルなものを愛しているとも言える。 スウェットに限らずデニムやスーツなどはその形を変えることもなく、また全く新しい形態に変わることない。せめて細部に手が加えられてきたくらいだろう。 だからこそ、人が日々寄り添える存在となるのではないか。ここで敢えて奇抜に作り替えたとしてもそれは使い手のことなど無視したひとりよがりの産物でしかないのかもしれない。 そう思うからこそクラシカルなスタイルに一手間を加えた位が現代でも変わらずに日々の生活に寄り添えるものとして成立するのである。





その形としてMODIFIED CREW SWEATがリリースされているのだと思う。 世の中に数多あるクルースウェットではあるが、CITERAとして現時点において出すべき形がこのアイテムなのである。 機能的な素材や構造で快適な着心地を得られるものが当たり前となった現代における、行き過ぎない形の最適なクルースウェット。 あくまでもスウェットとしての存在を崩さず、行き過ぎないスタイルでスウェットしてのレガシーを守りつつ、着やすさに重きを置き、当時のリヴァースウィーブのスタイルを継承しパターンラインの中に置かれたハンドウォーマー、摩擦軽減のために生地を置き換えながら生地の重なりによるダブつき感も軽減されることで着やすさに繋がる。





ファッションは苦痛を伴うというのは今では聞かなくなったが、その考え方はまだあり間違いではないとも思う。 しかし、現代的に考えてみれば苦痛は改善できるもの、またすべきものであると思う。そのために技術というものが進化しているわけで、苦痛を取り除きながらよりファッション的な飛躍というものが行われていて欲しい。 スウェットにおいてはそもそもファッション的でも苦痛を伴うものではないのだが、技術によって動きやすいものがもっともっと動きやすく快適なものになるのは社会的課題でもあり、大いに歓迎することである。 スウェットという今では最もベーシックな存在であるからこそ、過去から未来に向けて衣服がどれだけ個々のQUALITY OF LIFEに貢献できるか、それを今の視点で考え技術を使って形にしていけるか。 このMODIFIED CREW SWEATに袖を通しながらそんなことを思うのである。





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