

夏がくることは人によってそれぞれの思いがあるだろう。暑いのが苦手な人にとっては本当にきつい期間であり、憂鬱な気分になることだろう。幸いなことに私は暑さは好きではないが、この季節を大したこととは思っていない。日差しの強さと湿度の高さは確かにキツイが、何とか凌げる体力と気力が備わっている。
あとは、昔の感覚というか、子供の頃の夏休みのあの楽しみ過ぎる思いが残っているおかげで、夏のイメージは「解き放たれた自由な期間」として脳にも身体にも刷り込まれているからだろう。また、人によってはビールなど夏特有のお酒の楽しみ方があることで好きということもあるだろう。
確かに、夏の野外でのビールというのは実にうまそうに見える。全く飲めないゲコにでもそう見える。あまりにもうまそうなのでつい飲んでみようとトライするのだが、残念ながらいきなりまずいのである。消毒液っぽいアルコール成分特有の匂いが前面に出て、これから注射でも打つのだろうかと思ってしまうのだから仕方ない。
酒飲みの者からすれば、我々ゲコはどうやら人生を損しているらしい……。まあわからなくもない。
酒と食べ物のマッチングの良さはわからないし、暑い日のビールの喉越しの良さとかも見当がつかない。真横でその幸せ加減を見せつけられている時ほど寂しいものはない。そして、今では死語と言ってもいい「飲みニケーション」なんてのも知らないわけだ。
シラフのこちらは酒飲みからしたらシラける要素らしい。そんな存在なので飲み会不参加がちの社会生活を送ってきた訳だし、酔った勢いでの暴言や挙動もできず、後々「記憶がない」「酔っていたので」といった言い訳もできない立場であり、平等な立場での世相講談は難しいところだ。
その代わりに、夏の暑さを言い訳に言いたい放題やりたい放題なんていうのはどうだろうか?
「暑さで思考回路がイカれてたもので」とかいう言い訳は通じそうだ。「湿度が異常に高かったので思ってもいないことを口走ってしまいました」とか。「じゃあ、仕方ないか、この暑さじゃねぇ……」と許してもらえそうなものである。
とにかく暑さは人をどうにかしてしまう原因の一つだ。しかも昨今の日本の夏の気候は死活問題にまで達しているほど。またいつか氷河期なんていう時代が来るのだろうか?なんてついうっかりトンデモ系な発言をしてしまうほどに。マンモスの毛皮で氷河期を生き抜いたその頃の人類はすごい。とか言って、そんなことは本当にあったのだろうか?あれは想像の世界の話かもしれない。
科学が進んで太古の昔が解明されてきているとはいえ、それが本当だったかどうかなんて誰にもわからない。知的生物の細かい生活のことは不明としても、その暑い、寒いそれぞれの時代を生き抜いてきたことは確かであって、身体はそんなにやわじゃないということだけは事実。ということで、今年の夏も尋常じゃない暑い夏になったとしても、秋を迎え暑さを乗り越えた喜びを噛み締められることだろう。

その暑い夏が来る前には、ただただ不快な梅雨というやつがある。雨が降るのは良いのだが、傘を差すのが面倒くさいので帽子などで何とか凌げば良いが、大の問題は湿度である。こいつだけは小手先だけでは凌げない。
ジメジメという表現を誰が言い出したのか知らないが、実にピッタリだ。「ジメジメ」と発する時は大概の人は苦い表情になる。言葉というのは面白い。それを発する時には感情と連動し表情や声のボリュームやトーンまでもそこに合わせてくる。これを瞬時に無意識で連動させているわけだ。生まれてからの生活で得た経験というプログラムによってそれが叩き出されている。
そういった感覚を今度はAIに叩き込み、その人間の機能をアウトプットし代替えさせられる段階にまで達しつつある。そんなすごい世の中なのに、夏の暑い日差しを避けるのには日傘を使い、梅雨のジメジメ感を作り出す湿度は未だ身体にまとわりつけているわけだ。テクノロジーよ、もっと梅雨のジメジメを快適にするものを作り出してくれ、と強く願う。

人類の叡智を集結させた画期的な携帯できるクーラーシステムを作りだしていただけないだろうか。
寒さは何となるようになったが、暑さと湿度から完全に解放してくれる優れた装置は、身につけられるレベルでは未だないのである。
宇宙にコロニーでも作って、そこに気候と天気をコントロールできる巨大空間を設置しそちらに移住、という形態をとらないとだめなのかもしれない。そんな世界になったら、地球に住むものとコロニー移住者との間で摩擦が起こり、宇宙戦争へ発展という流れになるのだろうか。
それはガンダムの観過ぎであって富野由悠季の世界観。人が宇宙空間に出ことで、地上の重力から解放されることによる意識の変化が起こした、精神世界の追求によるテレパシーの進化。
そんな世界も悪くないと思える。
だって、コロニーによって気候のコントロールが効くのだから。湿度のない世界と花粉の無い世界を求む。語弊があるので言い直すと、湿度も花粉も自然界には必要なのでそれを否定するわけではなく、それらによる不快感から24時間365日解放された居場所が欲しい、といったところである

先ほどから好き勝手書いていますけども、湿度が好き、という人に会ったことがない。 暑いのが好きという人は結構いるのに。カタツムリとかカエルくらい。カラッカラに乾いているのも困りものだが湿度90%以上というのも辛いのでほどほどがいい。今のところ着るものの素材や色、作りとかで何とかやり過ごすしかない。 そして今日も無事1日が過ぎていった、とクーラーの効いた快適な部屋でTシャツに短パン姿でビールを流し込み喉を潤す、そんなところが理想である。

最近思うのだが、暑い時期はTシャツを着がちだが実はシャツを着た方が快適感が高い気がする。 シャツの方が風通しの良さが高い。ボタンの間も空いているし、袖もTシャツより風を通す空間が大きい。これは作り次第だがそんなものも多い。そして何より生地がTシャツのものよりも身体に馴染みにくいので解放感がある気がする。 汗という水分の問題があるので生地選び次第でもあるが、水分を吸っても溜め込まないものを選べばそこは解消できるわけだし、身なりとしてもTシャツよりは常識人としての社会性の高さをアピールできる。シャツ程度ではそんなことないかもしれないが、Tシャツよりは、である。

ではパンツはどうだ?雨期や夏場にはデニムは避けがちだ。濡れてインディゴが落ちたりするし、水分を吸収すれば重くなる上にまとわりつき動きにくくもなる。薄い化繊のものを選びたくなるのは当たり前だ。軽く肌離れのいい素材。メッシュが多用されてるというのも助かる要素である。面積が少ないことで軽く、吸湿発散もよい。極力そういった衣服を選びながらこの不快で過酷な季節を乗り越えるしかない。
21世紀になった今日でさえもまだそうやってアナログ的手段で日々戦っているわけである。根源的には原始の頃と大差ないのかもしれない。様々な外的ストレスから結局我慢を強いられている。その我慢をどれだけ減らせるかによって一喜一憂し、明日を生きる糧とする。まあ、もっとも原始人はそんなことをいちいち考えながら「今日も色々あったなぁ」と寝床で1日を振り返りながら眠りについたりはしなかっただろう。 どんなに便利にそして捕食者に襲われることがなくなったとしても、気候という我々の命を司どる熱と水という根源的なエネルギー体からは、夏休みの宿題の様に常にストレスを与えられているわけである。