

私たちの生きている世界では「境界線」に出くわすことが非常に多い。全てをきれいに分けたがる。分かりやすくするための仕方ない行為なのかもしれないが、何でもかんでも分けなくたっていいのに、と日々思う。身近なところでは男と女。まあこれはいいでしょう。確かに分けなくてはならないこともありますから。トイレとか。 昨今はその辺をどう扱うかが肝にもなっていますが、単純に性別、身体的構造が違うということでそれに関して深く触れるのはやめておこう。 曖昧にしたい、その境界線を取っ払いたいと思うこともこの世にはあるということくらいに。最も問題だと思うのは宗教における境界線。宗教があることはいい。自分には信仰する特定の宗教がない。父方の実家がお寺であったので、子供の時にクリスマスにばあ様がクリスマスケーキを食べている姿を見て不思議な気持ちになった。 その時、宗教観の違いはあるとしてもそこに隔たりはない、と自分なりに認識した。そしてケーキは宗教を超越した偉大な存在であると。もちろんそんな単純なことではないことは理解していた。ただ、住職の伴侶として日々手のひらで何十年もお数珠を擦り合わせてきたマイばあ様が、クリスマスに生クリームで口を汚しながらケーキを頬張っていたのだ。宗教間の境界線は無いな、と思えた瞬間である。ちなみにばあ様も寺の出身なので我が血はハードコア浄土真宗である。
そんな境界線など意味がない、と思っている自分でも自ら境界線を引いてしまったことがある。 先日、友人とその子供と話している時、子供を持つ立場と持たない立場という境界線。子供の気持ちしかわからない立場として、現子供の彼とかつて子供だった私。そしてどちらの立場も経験している友人。立場としての子供と親という境界線を引き、長年の付き合いである友人を引かせてしまった。その境界線が現れたことで彼は悲しくなってしまったようだ。 どこかに少年の心を持っていたのに、そんなピュアな部分はお前にはもうない!と言い放ったかの様な衝撃だったのかもしれない。お前はもう大人で子供のこちら側には入って来れない、といった具合で有刺鉄線越しのあちら側とこちら側で見つめ合う悲しい雰囲気にしてしまった。そんな風に悲しくなってしまう友人は、十分すぎるくらいピュアである。いい大人が何をそんなに悲しい目をしているんだ、と思った次第だ。
そのくらいに線を、境界線を引くということは人間関係を分断してしまうものだ。友人同士の何気ない会話の中ですらそんな分断を生む。これが国や信仰心レベルでとなれば争いごとも起こってしまうだろう。宗教というのは、そういった争いごとや悲しみや不安をなくすための思想を持って存在し、時にその線の上を行ったり来たりできるくらい寛容であるべきではなかろうか。 ばあ様が口にしたあの時のクリスマスケーキがそうしたように。険しい顔したイミグレーションの管理官がパスポートに渋々そして荒々しくスタンプを叩き押す様に。人々が幸せのために全ての線の上を行き来できればいいのに。

何も心配する必要のない境界線はないものか?あって嬉しい境界線。そのこちら側とあちら側のコントラストが激しければ激しいほど胸が高鳴る境界線。衣服というものはそういった境界線が多数存在する。あればあるほど楽しい。 あっちとこっちでは生地目の走り方が違うとか、マニアックなものがあるほど人を虜にする。衣服には覆い隠すという根本的な意味以上にそういった面がある。生地に線を引き、切り離し、そして縫い合わせ一つの衣服を作る。線や分断を伴いながらもその上を行き来し新しい価値を作り出す。幸福的な文化である。切り離す行為の上にありながら価値や文化を継続させている。

人間というのはそんな素晴らしいことをしているにも関わらず、人を相手にするとすぐに敵意を持って分けようとしたがる生き物である。もちろんそんなことはない人もたくさんいて、過去には平和的な部族もいたであろう。 ただ、やはりそういった穏やかな存在では孤立してしまったり、息絶えてしまったり。強いものこそ生き残るという自然の摂理も作用し、厳しい現実の中で生きているわけだ。現代においては強いものも弱いものも入り混じる混沌の世界。全てが混ざっていると考えれば、そこに境界線は存在していないとも思える。物理的な線などないわけで、それぞれがそこにあるものとして意識の中で線を作り出しているだけだ。それがあることで守られている秩序というものがあるのも確かだ。

秩序と言えば、今後AIが人と同様の有機的な考え方を持つことなると言われ、それに恐怖を感じる人もいるだろう。AIの反乱を恐れて。そんなことには恐れるまでもないだろう。AIでなくても恐ろしい考えを持って行動し権力を持ったリーダーというのは過去に山ほどいて、人はそれを何とか乗り越えてきたのだ。もちろんそれに伴う犠牲はあったことも受け入れるしかない。 常に秩序で保たれる世界など、人が存在しているうちは訪れないと言ってしまっても過言ではないだろう。制御不能の人間ほど恐ろしいものはない。正義感からなのか、洗脳なのか分からないがそういった人によって世界は混乱に陥れられてきたのも事実である。

それよりも、AIが発展することで進化する衣服があることを期待したい。とはいえ、暑い時期には半袖を着ることはいつまでも変わらないだろう。いや待て、そんなこともないかもしれない。ファン付きブルゾンなどは夏でも長袖である。 しかし、あの膨らむスタイルはいただけない。作業着などは良いが日常着として取り入れることはなかなか度胸がいるものだ。ここで紹介するWEAVER-LT SHORT SLEEVEの様に吸湿速乾の生地など足元にも及ばないほどの、冷房さながらの衣服ができることを期待したい。そんな心配するほど冷える素材が生まれる前に、「心頭滅却すれば火もまた涼し」のごとく、暑さに耐えるほどの精神を持つ修行をした方が早そうではある。

話がとっ散らかってしまったが、境界線があって嬉しい夏のTシャツであるこのWEAVER-LTの半袖。脇の素材はウール調でメインの素材とは対照的ではあるが、機能は似ている。通気や吸湿速乾で熱を逃す役目を担っている。 極端な気候になってきたことも、暑い寒いという境界線で括られてしまいそうだが、もう少し暑くもなく寒くもない曖昧な気温の季節が長くあって欲しいと思っているのが正直なところではあるが、人類の行き先など誰にも予測不能であるからこそ、さまざまな進歩が生まれ世の中が発展してきたのだろう。この夏も厳しい暑さが予測されるが、涼しい顔をしながら何の気無しに発した言葉で境界線を引き友を悲しませてしまうに違いない。
