

昨今の日差しはヤバイ。「オゾン層破壊による紫外線量の増加」という問題はその後どうなったのだろう?それを初めて聞いたのはもう40年近く前だったか。二酸化炭素によって破壊されるとかだった様な気がするが、はっきりと覚えていない。ネット検索すればすぐ出てくるが、それでわかった気になって博識ぶるのも何だか恥ずかしく、そういった問題に関してはすこぶる疎いことをここにはっきりと晒しておこう。
どうして昔より日差しがキツイと感じるのか。もしもオゾン層のことが関係ないとしたら、地球と太陽との距離が近づいたのだろうか?もし近づいたとしたなら、それは何センチ、いや数ミリほどなのか?何となくではあるが、1mも近づいたとしたら地球上のすべてのものは多分まるコゲなんじゃないか?とデリケートな問題の様な気もする。こういった話は、学業においては理科なのか社会なのかどちらの範疇の話なのかさえよくわからない。環境問題として捉えれば社会扱いだろうし、地球と太陽の距離が及ぼす影響であれば理科になるというのはわかるのだが、学生時代に理科も社会もまともに受けていなかったし、大学で自らの姿勢で学んだこともない。そもそも私は大学に行ってないのである。
大学には憧れがある。いや、「あった」と言うのが正しい。中学や高校時代に思い描いたキャンパスライフというやつにだ。大卒の人にそれを話すと、「憧れるほどのものでは全くない」と100%言われる。 それは私が描いたキャンパスライフを想像し、そして期待して大学の門をくぐったわけではないからだろう。
では、なぜキャンパスライフに憧れたかである。まず制服がない。子供の頃からハリウッド映画を浴びせられていたことで、どうやらアメリカの学校には制服がない、ということを知るのだがそれを「さすが自由の国アメリカだ!」と履き違え、「中高生における自由の象徴はまず制服からの解放なのだ!」と制服によって抑圧された環境からの脱出を日々望んでいたわけで、制服のない大学こそ学生生活における自由主義社会と思っていた。しかしだ、我ら70年代前半生まれは第2次ベビーブームであり、社会的な流れとして大学進学率も上昇し進学を希望する者も増え、学業に背を向けていた者にとってはどんな大学であれ難関だったわけである。マークシートを勘で潜り抜けるという荒業もあっただろうが、それもまた狭き門なのである。
しかし、そんなマークシートの奇跡はあるのだろうか?受験者が何十万人もいれば一人くらいはいたかもしれないが、その一人に自分がなれるとは到底思えない。それならさっさと気を変えて勉強をするしかないのだ。しかし、音楽やスケートボードに時間とお金を費やしていた者がそう易々と学業に向き合えるわけもなく、反抗的な態度を見せてしまっては大学生活を手に入れることなど夢のまた夢なのであった。そう、1970年代を迎え内ゲバや連合赤軍によって学生運動の範疇を逸脱し事件にまで発展。そんな暴走による恐怖、世の中を変えられぬ絶望、そして諦めといった空気が日本中に伝播し、学生たちの夢は覚め熱く短い全共闘時代が一気に崩壊していったかの様に、私のキャンパスライフへ憧れは崩れ去ったのである。勉強が嫌い、ということに直面したことで……。
若き想いというのは素晴らしい。それは熱し易く冷め易いのかもしれないが、その瞬発力と熱量というのは、太陽の如く熱くその周囲をも巻き込むほどの炎を作り出す。そう太陽の如く。

太陽は何年燃え続けているのだろう。相当に熱い奴だ。どんな熱い想いを燃料としてこんなにも長い間闘志を燃やしているのだろうか。現時点が働き盛りのサラリーマンくらいであれば、最も熱を帯びているに違いない。そりゃ夏の気温も摂氏40度を超えてしまうわけだ。昨今の気温上昇もそう解釈すれば何となく気が楽になる。人類による破壊的な地球環境の悪化と思うと、その責任やこの先の未来に対する不安に襲われてしまうからだ。
もちろんその責任から逃れようというわけではなく、そもそも地球における人間の存在が本当にそれほどまでに大きいのか?という疑問もある。地球からしたら、いや、宇宙からしたら人類なんて肩に落ちたフケ以下の存在のはずだ。菌に悪玉善玉が存在するのと同じでそれらが生きている以上何かしらの影響があり、それも折込済みの太陽系なのだろう。聖書やコーランにはそこまで書かれていないのだろうか?それと戦争は禁止、とも書き足しといて欲しいものだ。

太陽が生命の根源と思ってもいいのだが、当たりすぎるのも問題なわけでその偶然にもちょうどいい加減によって我々は生かされているのだが、それが未来永劫続くわけでもないので生き物として生まれた以上は常にいかなる事態にも覚悟はしておくべきなのだろう。覚悟と準備。これから襲ってくる紫外線地獄への覚悟と準備。そろそろ男性も日傘が必要となってくるが、まあ傘を持つことへの抵抗が拭えない。 それってやっぱり「雨の日の傘」というあの忌々しさが身に染みているからだろうか。傘=雨もあり晴れているのに傘を持っていることへのアホっぽい感覚というか。女性らしいデザインやレースの日傘などであれば上品さを感じたりもするが、男性的デザインの傘を晴れた日にさすというのはやはり受け入れづらいのだ。

私が日傘として晴れた日に傘をさす日がくるのかは未だ不明であり、熱射によって死ぬか傘をさして救われるか、それはまさに「傘 or Die」なのである。と思っていたら、大き目のツバのハットでも被ればいいだけという解決策があるではないか。そんなことに気づかぬ方がよほどアホであり恥ずかしい行為である。 日傘を使う方には必要ないかもしれないが、傘を煩わしく思う方にはおすすめであるPROTECT HAT。表からみてツバのフチに色味があったら良いなと思い、ツバ裏地から白い生地を張ろうと思ったのだが、それだと白が光を反射し絶対に眩しいのでやめまして、何となく色味が入っていて熱い季節向きなものにしようと思い、トロピカルな柄のものを選んでいるのです。

ツバの大きいハットで良いものってなかなか無い。女性用のはありますけれどなかなかそれを被るのも難しいわけですし、麦わら帽子ってのも釣りキチ三平か山下清ってイメージなので、そうではないものってのが本当にない。アウトドアブランドのならかろうじてありそうなのだけれど、街でというのはちょっと違うかなぁ、という仕上がりが多い。ということで、日差しも何なら雨も避けながら街にフィットするツバの大きいハット。コンパクトにまとめつつも目立つロゴをあしらって。通気用アイレットもトップに多めに配置。

ただ一つ問題が。突風に弱い……。ツバが大きい分風に煽られるので注意が必要。アゴにかけられる紐というのも考えましたが、あれあるとどうも街にフィットしにくくて。次回はそのあたりも改良したまた違うアイテムでも作ることにして、今回のPROTECT HATは今回のものとしてこれからの過酷な日差しの下で大活躍できるのは間違いないので、日差しを避けたいがちょうど良いアイテムが見つけられない、というあなたには是非使っていただきたいアイテムなのである。
