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Entries by CITERA


80年代後半、イギリスのナイトクラブ界隈で生まれたものに「レアグルーヴ」という音楽のカテゴリーがある。これはジャンルではなく、良いものでありながらも評価されず陽が当たることなく知名度が低い曲を指す。様々なジャンルからナイトクラブでかけられそうなノリの良い曲が多く、基本的にはマイナーレーベルのため極端に生産や流通が少ないなどの理由はあるが、サンプリングできるブレイクが入ってたり、最高のグルーヴ感があったりなど、ナイトクラブ/ダンスミュージック的視点でみると再評価されるポイントを持つ。発売当時は見向きもされなかったものが時を経て何者かによって違う観点から価値を見出される。後から欲しがる者の数が上回り値段は高騰し珍重されるのである。時代が後から追いつき20年後の一部の世界ではあるがようやくヒットする。これって言ってみれば「未来の音楽」とも思えてしまう。

また似たようなものとして、「ノーザンソウル」と言われるカテゴリーもある。これもまたイギリスであり、時代をもう少し遡るが60年代終わりから70年代にかけて生まれたもの。イギリス北部の労働者が多く住むエリアにて、メインストリームではないマイナーなソウルミュージックをかけていたクラブが若者たちの間で人気となり、そこでかかる様な珍しいソウルミュージックを「ノーザンソウル」と呼び一つのカテゴリーと定義したわけである。

この2つは共に音楽にまつわる文化的なムーブメントであるが、例えとして言葉遊び的に使うことがよくある(極一部で)。物に対し「○○界のレアグルーヴ」とか、状況に対し「夕暮れノーザンソウル」とか。非常に分かりにくい、というか隠語に近いほどその世界に精通してる者じゃないとわからないレベルである。わかりやすく言うのであれば、一見無価値に見えるがディテールや一部分に着目することで突如全体を押し上げ「隠れた名品」になってしまったり、偏っていることで万人には受けないが非常に抒情的な側面を持ちつい心を奪われてしまう牧歌的に思える様などに「レアグルーヴ」や「ノーザンソウル」という表現を用いるのであり、埋もれていたり誰も気づかれていないものの悲しさも含め、そう言い表すのである。

 






一体なぜそんな話をしたのか。TECHNICAL SUITSというものがウェア界のレアグルーヴなのではないか?と思ったからだ。そもそもこの「TECHNICAL SUITS」という言葉自体にレアグルーヴ感が漂っているわけで、まだ世の中に広まってもおらず、言ってしまえばCITERAでしか使われていない言葉であると思う。言葉を元に洋服を作っているわけではないので、その言葉を認知させようとか思っているわけではなく、表現方法として固有名詞みたいなものがあった方がその存在を受け入れやすいのではないかと。カテゴリーというのは、その現象の中心で概念化されるわけではなく、あくまでも結果として外野が言い出すことで世間に浸透していく場合が多い。音楽のカテゴリーなども、誰が言い出したのかなど皆目分からないし、音楽評論家やレコード店がなんとなく言ったことがあまりにも的確すぎて使い続けられている場合が多いのだろう。






この春、TECHNICAL SUITSの2タイプの新型がリリースされ、少し前にはTECHNICAL SUITSアーカイブページにも追加されたのでこうして書いている次第である。その2型についてはそれぞれのメルマガでも既に書いたので改めて書くのは遠慮させていただきますが、これまで通りの服作りによる人の手が生み出すパターンや素材に注ぎ込まれた技術、そして現代の技術革新によって生まれた機能や構造などを取り入れることで、その様な呼び名に相応しい物になるのである。それでいて使われている技術が恩着せがましく前面に出るのではなく、あくまでも快適さが得られる衣服であることが最も大切なポイントであり、CITERAとしてのTECHNICAL SUITSが意味するところはそこなのである。






もちろん、現代の技術があってこそのものではあるが、洋服である以上デザインや着心地が最優先であるべきで、カテゴライズされることに関心を注ぐのだけはしたくないのが本音である。ごちゃごちゃ言ってしまうことで邪魔をしているだけになり、洋服としての本質的な部分がぼやけてしまっては意味がないのだ。過剰なデザインも好きではないし、過剰な宣伝文句も好きではない。的確に必要なことのみを語り伝えることが理想であり、言葉ではなくそのもの自体の雰囲気やそれにまつわる要素も使って最小限で最大限の伝達を心がけている。それでは人によっては物足りなさを感じてしまうこともあるだろうが、その塩梅というのは難しいところであり、言葉だけにその責任を負わせるのはブランドとして説得力にかけるものになる気がする。






説明足らずで地味すぎてしまうこともあるが、それがレアグルーヴ的とも言える。洋服界のレアグルーヴにはなりたくないが、レアグルーヴと言われたとしたらそれもまた名誉なことではある。もしそうなったのなら、それは嬉しい反面、悲しいというのが本音であろう。レアグルーヴとして珍重されたのなら、その誕生自体は過去であり寝かされていたことになる。知る人ぞ知る、とか、玄人好み、なんていう言葉もあるがこれらも複雑なものであろう。万人受けしていないということなのだから。レアグルーヴでありながら、ヒットチャートを駆け上るくらいがいいのだが、そうなったらそれはもはやレアグルーヴとは言えないわけで、なんとも難しいところである。






世の中、いいものが売れるとも限らない。見せ方や宣伝のうまさ、その時の世の空気感とのタイミングもあるだろう。人の目に触れて、さらに気を引き、または物欲をくすぐることができ、それでいてちゃんとしたものであることが多くの人の心を掴むのだろう。売れればいいということでもないが、ある程度売れなければそれは続かず世に残らない。モノである以上、使い続けられるものでその価値が決まる。数が少ないから、誰かが使っているからとかではなく、「なんだこれ、良さそう」とその人の判断によって選ばれ、心から「買ってよかった」と思われることが「心のレアグルーヴ」であり、「アパレルノーザンソウル」なのである。ここまで山の様に言葉を使っておいて、そんな風に言われたのなら、それは褒められているのか、貶されているのか分からなくなってしまうのである。





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