

ウィノナ・ライダーというアメリカのハリウッド俳優がいます。我々の世代で欧米文化で青春を過ごした方なら当然ご存知のあのウィノナ・ライダー。同世代であっても万が一知らない方で、もしNetflix「ストレンジャー・シングス」をご覧になったのなら失踪してしまう少年ウィルの母親役の女性です。実に80年代のスピルバーグやスティーブン・キング作品を思わすSF感を全面に押し出し、追い打ちをかけるようにウィノナ・ライダーを起用し我らをノックアウトした作品でした。彼女といえば、映画「ビートルジュース」にもヒロインとして出ていましたが、昨年上映されていた2024年版ビートルジュースにも母親役として出ており、その姿をまたも確認できたことは嬉しい限り。そのウィノナ・ライダーは少々面白い背景を持っておりまして、両親がヒッピーでコミューン生活の中で育ったこともそうなのだが、もっと凄いことにあのティモシー・リアリーが後見人であることに驚かされたわけです。
欧米の戦後ユースカルチャーを燃料として10代を過ごした者にとって、彼の自伝著書である「フラッシュバックス」はケルアックの「路上」と共にバイブルとまでは言い過ぎかもしれないが、敏感な10代にとってはそれくらいにセンセーショナルなものであった。心理学者でありながらドラッグカルチャーを加速させたものの一人とでも言っておきましょう。そんな人が後見人というのもこちらとしては、ウィノナをより好きになる要素となっている。ビートルジュース、シザーハンズ、ナイト・オン・ザ・プラネット、そしてリアリティ・バイツ。そこにティモシー・リアリーという影がちらつくことで、インテリアウトローのティーンたちにとっては彼女に喰らいつくポイントなのかもしれない。もちろんそんな背景などは一切関係なく、「17歳のカルテ」や「若草物語」での純粋な演者としての魅力は十分発揮されていたわけで、コアな俳優というわけではなくハリウッドを代表するスターであったことは間違いはない。

いきなりウィノナ・ライダーの話で始まって一体何のことだろうという雰囲気であるが、今回紹介するECKEは若かりし彼女がどこかでラフに着ていたスーツ姿がイメージソースになっているからである。随分前に何かで見た映像か画像か忘れてしまったが、まだ若い彼女が夜な夜な街を歩いていた際のものだったと思う。正直ディテールなどははっきりと覚えていないのだけれど、なんとなく記憶に残っているイメージからディテールなどを決めていったものである。一番のポイントと言えば、襟上部、袖、ポケットに配したパイピングである。パーティー衣装とまでは言わないが、遊びのあるデザインをテクニカルなものに盛り込んだのが、昨今ある類似のものとは違うポイントである。

とは言え、圧倒的にデザイナーズな雰囲気というものではないので、仕事着としても対応できるのではないか。また、普段着として考えてもパイピングがあることで気遣いのあるカジュアルスタイルとも分類できる。パンツにもパイピングが施してあるのでやはり着るならセットでと言いたいところ。皆さんが仕事の際にどのようなスタイルで仕事をされているかは、職種などにも左右されるのでこちらの好き勝手で使用シーンを想像するしかないわけだが、流石に銀行や証券会社、官僚系はないでしょうね。IT系やファッション系なんてのは言い方は悪いが何着てても大丈夫なわけで。もちろん、清潔感やマナーといった社会性はクリアしなければならいのは言うまでもなくです。

このECKEの1番のポイントであるパイピングはパジャマっぽくて少しかわいいものに見られるかもしれないけれど、それもまた良いのではないだろうか。あからさまなかわいさではないのでさほど心配することはないが、そういう方向性のものが好きな方ならピッタリハマるはずである。かっこいい方向であればAUTOBAHNが良いので、そちらを試してみていただければと。

できる限り作りの良さを出したいと思っているため、生地の質感には気を使うわけで、デザインもそうではあるがやはりそれ以上にこの質感というのはそのものの価値を左右する。着ている人だけが気づく要素ではなく、見た者にもその雰囲気を伝えることができる大きな要素。薄く軽いのにしっかりしているとか、表情、光沢感も見た人に与える印象は変わる。頼りない生地ではその人までもが頼りなく見えてしまったり。もちろん他の要素も大切なんですが、縫製は生地と比べてわかりにくい部分であるけれど、縫製次第では見た目に違いが出るのでやはりこちらも大切な要素。結構縫製箇所を見る人いますからね。流石に着ている人の服でそこまでしっかり見る人はあまりいないけど、お店でじっくりと細かい箇所を見ている人もいますからね。生地、デザイン、縫製、パターンと、全ての要素が合わさって相互作用しているので、あっちが良くてもこっちがよくないと全体的に質が下がってしまうので、結局どこが一番大事であるなんて簡単には言えないのだ。

さらに言えば、私の場合はただ服を作ると言うのもなんだか寂しいことであり、その服にはどんな意味があるのかとか、どんな想いがあるのかといった直接的に洋服とは関係のない「何か」が欲しいのだ。その気持ちがあるからこそ服を作るわけで、服は表面的なものであるからこそその裏側にある人の魂のような、強い意志のようなものを込めて奥行きを出したい。それが服作りの楽しいところであり、他の服との違いを産むのではないか、なんて思うのである。私の場合はですよ。そんなわけでウィノナ・ライダーがどこの何を着ていたかは知らないけれど、彼女自身が醸し出していた雰囲気なのか、その時纏っていたオーラなのかどっちかわからないが、彼女の人としての魅力が表層部に現れそれが私の脳に焼き付けさせたのである。それほどにその姿が素敵に見えていたわけだ。人からそんな風に見られる人になりたいものである。それを担える服を作れるのならどんなに良いことだろう。
