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ヘアクリーム(セット剤)を使う習慣がない。美容室に行っても仕上げのセットは「何もつけないでください」と言う。それは美容師殺しの様な愚行とわかってはいるものの、セット剤をつけられるのが嫌なのである。髪を切る時のヘアスタイルは気にするが、セットすることには興味がない。寝癖でも外出してしまうくらいものぐさな頃もあった。恐らくそれは、バイクで通学、そして通勤という生活が長かったからだと思う。ヘルメットを被るのにセットしたら意味がない、そういうことだろう。最悪キャップやハットなど被れば済むわけで、カバンの中には大体被り物が入っていた。そんなわけで、家でも出先でも手の届くところにキャップはあり、目に入ればつい被ってしまう。寝癖が凄ければキャップを被り一日過ごす、なんていうことは日常的なことで、30歳を過ぎてもそんなものぐさ太郎の様なライフスタイル。40歳を過ぎれば少しは身だしなみに気を遣うであろうと思っていたが、変わらなかった。キャップが好きだからそうなってしまったのかは不明だが、キャップは頼もしい存在なのである。





そんなわけで、大人になっても被っているのだから、大人向けのナイスなキャップが欲しいと思い定期的にリリースしているNEU CAP。これまで、ヌバック、レザーなどを使ってきたが、スウェードは今回が初めて。しかも毛足の短いピッグスウェードで、上品な質感と光を吸収した漆黒の中で白い刺繍糸のロゴが光を放っている様。ロゴは黒の刺繍というのがこれまでの流れであったが、ここらでもう少しブランドをアピールしても良いと思い、控えめなサイズのロゴではあるがしっかりとブランドを前に押し出している。アメリカの有名なアクセサリーブランドのオールレザーのキャップも良いけれど、ハード過ぎるイメージで被る気になれない。もちろん、キャップに出すプライスなのか?といった疑問もある。値段も雰囲気もちょうど良い大人のキャップというものが、あたりを見回してもなかなか見つからない。だからこそこのNEU CAPの存在の意味がある。それでもこのプライスはキャップに出すものではないかもしれない。キャップはあくまでもキャップであって、大人が、とか言うものでもなく、どの年代がどんなものを被ろうが年齢など関係ないのかもしれない。









基本的にはベースボールキャップというのがキャップのオリジナルなスタイルだと思うのだが、それがいつしかスタジアムを飛び出し日常的になり、ファッションアイテムにもなり様々なものが世に出ているが、あまり進化はしてないかもしれない。キャップに進化を求めることがそもそも意味のないものかもしれないけれど、雨に強いゴアテックス仕様のキャップも見たことがある。20代前半の頃、某アウトドアブランドのフリースのキャップを買ったことがあるが、色のせいなのかフリースのもこもこした素材感のせいなのかわからないが、とてつもなく可愛い仕上がりのものであった。可愛い、というのは子供っぽいという意味であり、成人した男性の被る様なものではなかったのだが、つい買ってしまったわけだ。それを買い被って気づいたのは、ロンパールームのお兄さんの様な雰囲気を漂わせてしまうことだ。








半ズボンに白いハイソックスがお似合いのあのスタイルにピッタリのキャップを、思わず買ってしまったわけだ。若気の至りというのが正しいだろうが、大人のサイズでリリースする方もどうかしている。いや、それを出したブランドさんはどうもしていない。むしろその勇気にあっぱれ!なのである。さて、我ら世代が子供の頃に被ったキャップといえばプロ野球球団のものだ。額の位置に網目のライニングがあり、それをひっくり返して被って遊んだものである。おそらく、あれは型崩れを防ぐための補強の意味だったと思っているのだが、子供の頃は本当に目のガードであると考えていた。仮面ライダーなどの変身同様に変身ポーズをキメた後、あの網目の補強パネルを引っ張り出し何かライダー的なものに変身した気分になったものだ。






ではNEU CAPにその網目の補強パネルはついているのか、と言われればついていないわけであり、それをわざわざそんなノスタルジアのためにつけるなんていうのも馬鹿げた話である。昭和の小学生ではない限りそのメッシュパネルはもう必要のない存在なのである。そういった様に、人それぞれにキャップにまつわる話はこの世の中に果てしなく存在すると思う。世代によってもキャップのスタイルも被り方も違うだろう。気になるところでは、初老以降のご老人においては、しっかりと被らず五割ほどのところでゆるく被っている方をよく見かける。あれはいったいどういったスタイルなのであろうか?被りたくはないが帽子は欲しい、という気分なのだろうか。この事象でこちらが困ることも迷惑を被ることもないので許せないということではない。ただその意味がわからないので、理解に苦しむといったところである。被らずに載せる……。






日本の文化としてはキャップは戦後以降に広まったものであることは明白であり、今後どういった展開を見せるのかはまだ誰にもわからない。そもそもこの国にはキャップというものはなかったわけなので、どこかで間違った使い方をされることで違った方向に進化を遂げる可能性があるのかもしれない。正しいか正しくないかではなく、それが人々の暮らしにどれだけ良い影響を与えるかどうかだ。キャップの進化と言ってしまうと大袈裟なので、進化とかではなく日々の暮らしの中で身に着け、それによってより楽しく暮らせるのならそれでいい。それがこのNEU CAPであったのならより嬉しいわけなのである。この冬もキャップ、ハット、ニットキャップなど様々なものを被ると思うが、まずはこの新しい白い刺繍のものをしばらくは被ることになるだろう。













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