人はいつから服を着るようになったのか。そして、なぜ。もちろん初めから服と言える様なものでもなかっただろう。それは、葉っぱなのか、何かを束ねて蓑(みの)みたいな服の原型の様なものだっただろう。もしくは、初めから動物の皮をそのまま纏ったのかもしれない。何れにしても、その何かを身につける前に、それを身につけた理由は、寒さなのか、興味からなのか、そのどちらなのだろう?普通に考えてしまえば「寒さ」からと思いがちだが、実のところ「興味」だったのではないか、などと思ってみたりする。動物を狩って余らせた毛皮がなんとも魅力的に(本能的に)思えて身に纏いたくなった、なんて思えることもできる。何かを身に纏えば「暖かい」ということは結果的に身に付いたわけで、まだその頃は見てわかるほど脳が発達していたとは思えない。
ゴリラを見てて思ったのだが、彼らに毛布や麻袋を与えると、暑さ寒さに関係なく、頭にかぶってみたり、肩に掛けてみたり、敷いてみたりと、さまざまな使い方をする。そして、どこか誇らしげにも、そしてどこか安心している様にも見える。人、いや、ネアンデルタールなのかホモ・サピエンスなのかは知らないが、何かを身につけた時、暖かさよりも先に、誇りや安心を手に入れたのではなかろうか。その時、既に言葉を持っていたのかはわからないが、言葉を持っていないことを前提とすれば、そう考えてもいい様な気がする。言葉があってこそそこに概念が生まれ、それが何であるか、どうであるか、を定義できるようになるからだ。言葉がなければ、全てが曖昧なままなのである。
とりあえず、ここでは一旦、歴史上の事実や科学的なことは置いとくことにして、個人の勝手な考えを基に、面白い方向で考えを巡らせた方が人生は充実する、であろうということで話を進めてみた。その上で、歴史や事実を知り、知識として深めて行くほうが、実りも多い様に思える。
ところでこれは一体何のメルマガなのだろうか?
ということで、一旦確認しておこう。このメルマガはCITERA、というウェアブランド(基本ネットだけで展開、一部例外あり→バーニーズ)のメルマガであって、人類の進化や服の起源に関するものではない。そんなことはわかっていると思うが、こういうことを言うのは念の為である。初めてこういった類のメールを受け取った人もいると思うので。
さて、WEAVER PARKA、CREW、PANTSである。これらは先に語ったことを踏まえ何万年もの後にこういう形になったわけである。説明するまでもないと思うが、ファスナーが付いたりフードが付いたり、繊維開発が進んでこういった装飾的、機能的なものとして今現在に存在している。
そんなわけで、しばらく出ていなかったクルータイプが今季から復活し、フーディとパンツにはメッシュの裏地が付き寒冷地仕様となっています。フーディのフード内部はPOLARTEC社のアルファダイレクトを裏地とし、寒風吹き荒ぶ中での防寒としてニットキャップなどを被っていなくても、気候に即対応できるといった仕様である。
艶感とハリとコシのあるお馴染みの生地は、中間層にスペースができることで空気を保ち保温性を確保し、適度なストレッチ性も持ちアクティビティやリラクシン共に対応できる。しかし、今ではすっかりこういったカテゴリーのウェアも、スポーツや余暇だけではなく、仕事なども含めた普段の生活シーンの第一線で使われ、スウェットフーディにスウェットパンツ、その上にジャケット、なんていうスタイルも当たり前のそんな時代なのである。
葉っぱや藁、樹皮、そして動物の皮(しかもなめす前のそのままの)から時を経て経て経て……と、ようやくここまできたのである。資源や動物保護、ましてや環境問題など考えると果たしてこれが本当に豊かさなのかは少々疑問はあるが、動物たちがありのままの姿で、地球の大地と共に生き続けている様に、人だって精神と命を山ほどすり減らしながら、知恵を使ってここまで生き抜いてきたのだ。そう考えると、身の回りにある当たり前のものがとても尊く思えてくる。それが100円ショップの誰かの生活や環境を犠牲にして作られた、プラスチックの些細なものであってもだ。それは人の長い歴史の中の小さな断片でもある。
非常に難しい時代になったなぁ、と思う。何もかも悪がつきまとうというか。素っ裸でそこら辺の草木を食べて生きるとしても、それもそれでどうかしているわけだし。現代人はこの先どう生きていけば良いのか?そしてどうすれば皆が幸せになり豊かで平穏な心のまま笑顔で暮らせるのか?
それは、失笑される様な夢のまた夢、もしくは子供の寝言の様なものなのか?本当にわからない。
何がわからないって?私はこのメルマガをどう終わらせて良いのかが皆目見当がつかないのだ。文字数がいつものメルマガと同じくらいになったから、ここらでおしまいにしておくが、最後に言いたいのは、とりあえずWEAVERを着てAUTOBAHNジャケットを着て秋の風の中を歩くと、この季節特有の草木の乾いた香ばしい香りが、心を平穏にしてくれるのだ。もちろんCITERAの服など着なくても、その一時だけは平穏が訪れる。何もかも忘れて身体を動かすことが全ての幸せの第一歩なのかもしれない。